長編小説〜Double Helixシリーズ〜完結

□変化
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時は全ての者の上に平等に過ぎて行く。
新学期を迎え、柔らかく日差しが降り注ぐ日が増えた。
麗らかな春風が木々を渡る中、学園の中庭には生徒達の歓声が響き渡る。
庭師のゼブロは目に見えて成長著しい枝を剪定しながら、生徒の成長振りに眼を細め、ぱちりと枝を切り落とした。



ゾルディック家を訪れた冬休みが開けて新学期になると、キルアは約束通り姿を見せた。
ゴンと私は日曜日に学校の外に出て、帰ってきたキルアと食事をした。

「良かった、キルアが戻って来てくれて!」

「だからちゃんと約束守るって言っただろう?
俺はこう見えて結構義理堅いんだよ。」

極めて明るく(それも彼の持ち前の用意周到さで)振る舞うキルアに違和感を感じていたのは当然な成り行きだった。
会話の途中、何度もゴンはその後のゾルディック家について質問をしかけ、ぐっと言葉を飲み込んでいた。
私達は、キルアがゾルティック家の話を振らない限り、それをこちらから聞かない事に決めていた。
そしてやはり、キルアは一切家の話をしなかった。

「色々心配かけたけど、大丈夫だから。」

敢えて言うなら、充分私達の心配を汲み取っていただろうキルアが言ったのはその一言だけだった。



そしてそれから日を置かず、ある晩、カツン、カツンと私の部屋の窓が鳴った。
窓を開けると以前の雨の日と同じ木の枝に、キルアが居た。
何も言わず、私は部屋にキルアを通した。
部屋に着地するなり彼は詫びた。

「ゴメン。
折角心配して来てくれたのに、またアンタに嫌な思いをさせて…。」

以前の様な精緻に計算し尽くされた感の無い、珍しく無防備なキルアが居た。
彼の眼は蒼く透き通り、整った眉毛が神経質そうに寄せられている。

「お前は、此処へ来ると謝ってばかりだな。
折角来たんだ.紅茶でも飲んで行け。」

キルアは一瞬不思議そうな顔をして、それから少し悩んで窓際のソファーに腰掛けた。

驚いた。
始め私は一体何をキルアが謝っているのか解らなかったのだ。
暫くして、それがイルミと私を引き合わせてしまった事、そしてイルミが私に発した言葉を指しているんだと理解した。
けれど実際は、イルミを前にして、あの事件の恐怖は私を苛まなかった。(躯の何処かでその痛みを再現していたのかもしれないが。)
あの事件を、私は克服したのだと、あの時実感した。
それより、変わり果てた彼の異様な姿の方が衝撃的だった。
そしてその兄の狂気と向き合うキルアの事が心配だった。
彼が途方に暮れた冷たい目をして、車を見送る姿は、私の脳裏に焼き付いて離れなかった。
さらに遥かにより濃く深く暗い陰を投げつけたのは、彼の発した言葉だった。

『君は…、無くしちゃったんだね、昔はあったのにね、翼。』

感情のこもらない、機械的な声が甦る。
私は彼の言葉に言い様のない絶望を感じた。
そしてその一言は、ずっと私の頭の片隅でしこりになっていた。


茶葉が充分に開いたのを確認すると、私はティーカップに二人分の紅茶を注ぎ、キルアの座るソファーへ足を向けた。

「ちょうど良かった、家から沢山地元のお菓子が贈られて来たんだが、一人では食べ切れないと思っていたんだ。
口に合うと良いんだが。」

そう言って私は、アップルティーと、大量に送られてきたアーモンドの粉で出来た焼き菓子をテーブルに置いた。
キルアはなんだか居心地が悪そうにしていたが、まずアーモンドの焼き菓子を一口に頬張るとみるみる笑顔になった。

「これスッゲー旨え!」

思わず此方まで顔が綻んでしまう。
食べ物とは偉大だ。
一瞬にしてその場の雰囲気を一変させる力を持つ。

「それは良かった。
沢山あるから遠慮せず食べてくれ。」

キルアは嬉しそうに次から次へとお菓子に手を伸ばした。

「甘いもの好きなんだな。」

笑いながらそう言うと、キルアはばつが悪そうな笑みを浮かべた。

「ゴメン。
菓子食いに来た訳じゃないんだ。
この間の事、またアンタに嫌な思いさせて…、」

私は頭を振った。

「私はもう大丈夫だ。
自分でも驚く位なんでも無かった。
もちろん彼があんな風になっていた事には、確かに驚いたが…。

それより、お前が元気そうで良かった。」

キルアは少し困った様表情を浮かべて、俯くと紅茶を飲んでポツリと言った。

「聞かないんだね、アンタもゴンも。」

「話したく無いなら話さなくていい。
お前の家の事だから私達が介入できるものでもないだろう。
ただ、お前が困った時はゴンも私もいつでも力になる。
だから、独りで抱え込むな。
辛いときは私達に言ってくれ。」

「…、ありがと。
でもやっぱりまだ何にも言えない。
ってか俺もどうしたらいいのか分んないんだ。」

キルアは暫く遠い目をしていた。

「でも、ちょっと元気出た。
ありがと。」

キルアは少しはにかんで微笑った。

「とても気に掛けていたんだよ、私もゴンも。」

キルアは暫く何かを考えていた。
そして私の眼を覗き込んで言った。

「でもさ、何でなの?
何でそんな風に俺を気に掛けてくれるの?」

真っ蒼な瞳が心の中を見透かす様にジッと見詰める。

「それは、私がチューターで…、」

「だってアンタ兄貴と話した時、真っ青だった。
全然大丈夫じゃ無かった。
アンタにしてみれば絶対近寄りたく無い場所だろうに、どうして、ウチまで来てくれたの?
そんなにチューターの責任は重いの?
ハウスのみんなにもそこまでするの?
それとも、俺、そんな死にそうだった?」

言葉に詰まった。
尤もな言い分だった。
そうだ、キルアだけに何もかもが、酷く偏っているのだ。
何故?

その時、一瞬のうちに目の前が銀色と蒼色に染められ、気が付けばまた、唇を奪われていた。
つい最近の感触が蘇り、私はそれを酷く欲していた事に気付いた。
そして束の間、私は彼の口付けを味わってしまった。
ふと彼の唇が離れていくのに、思わず追い縋りたくなる。
何故?

「ほら、またそんな顔する。
嫌なら逃げればいいのに、逃げないし。
ねぇ、何で?」

瞳を逸らせない。
まるでそこに引力がある様に、蒼い瞳に引き込まれる。
何故?

「あのさあ、そんな風にされるとどんなに猜疑心が強い俺でも、自惚れちゃうよ?」

何をと問おうとする唇を吸われる。
私は微動だにせずそれに応える。
何故?

「前にも言ったよね。
俺はアンタが好き。
で、やっぱり、アンタは俺の事、好きなんだよ。」

以前目の前で閉ざす事の出来た扉は今はもう無い。
目の前には甘い甘いお菓子と、優しい香りの紅茶だけ。

「ねぇ、何か言ってよ。」

「私は…」

その声は僅かに掠れていて、戸惑いが深まる。
私は?
私はキルアを好きなのか?
キルア・ゾルディックを?

「もういいや。
アンタ、顔真っ赤。
じゃあ、拒否らないのはイエスって事で、」

クスリとそう微笑うと、キルアはまたチュッとキスをした。
目を開けた時に見えた彼の耳朶が、僅かに桃色に染まっていた。

それからの事は良く覚えていない。

「アンタに言葉にさせるのは相当大変そうだからね、今日はこん位にしとくよ。
けど、きっと言わせるから。」

そう言ってキルアはクスクス笑った。
何をという言葉は音に出来なかった。

「じゃ、また来るね。」

そう言ってキルアはまた唇に触れるだけのキスを落とすと、ひらりと窓の外の木に飛び移った。



キルアが居なくなってしまってからも、クラピカはすっかり冷めてしまった紅茶の前に座って、ぼんやりと考えていた。

『アンタは俺の事好きなんだよ。』

キルアの言葉が頭の中を何度も何度も巡る。
ゾルディック家で聞いたその一言は、実際クラピカを酷く動揺させた。
確かに気になる存在で、チューターとしての責任を遥かに超えて、キルアの問題に深く入り込んでいる自覚はあった。
それにあの時も、自分で彼に触れたのだ。
キルアの言葉はそれは自然にクラピカの感情を代弁していた。

『私はキルアが好きなのかもしれない。』

けれどあの時は、文字にしてしまうと余りに衝撃的な事実に動揺し、どうしたら分らなくなって、キルアを閉め出した。
この事は酷くクラピカを悩ませ不安にさせた。
この感情を事実とすると、年齢、性別、境遇、将来、その他諸々、厄介ごとが山積するのは容易に想定できた。
それは酷く不安な事だったし、間違った事だと強く思われた。
だからクラピカはこの感情を封印した。
つまり自分はキルアの事を好きではないと思う事にした。
ところが、彼はまたやって来た。
そしてキルアにキスをされると、自分はそれを拒否できなかった。
寧ろ嬉しいとすら思っていたのだ。
もう自分の感情に嘘はつけなかった。

『私はキルアを好きなのだ。』

もう逃げずに素直にそう思ってみると、ストンと自分の心に落ちて馴染んだ。

クラピカは溜息を吐いた。
何という事だろう、素直にその感情を認めてしまうと、さっき逢ったばかりのキルアにまた逢いたいと強く思ってしまう。
我ながらなんて浅ましい事だとクラピカは独りごちた。
不安に思っていた厄介事は全て現実のモノとなる。
暫く考えて、そしてクラピカは思い至った。

窓を大きく開いて、キルア達の居るハウスに目を凝らす。
満月が明るくその屋根を照らしていた。
辺りの静けさは、クラピカの乱れた気持ちを徐々に穏やかにしていった。

卒業までの残された時間だけも、この暖かく優しい気持ちを大切にしていこうと。
そんな決め事を彼には伝えられない。
だからこの気持ちも彼には伝えない。
けれど彼と過ごす時間だけは大切にしていこうと。



「それでどうして毎日お前は私の部屋に来るのだ。」

「で、アンタはどうして毎日俺を部屋に入れてくれる訳?」

そう言ってキルアはニッと笑うと、これも当たり前の様にチュッと私にキスをした。

一体どうしてこんな習慣になってしまったのだろうか。
いつの間にやら毎晩キルアは木を伝って私の部屋の来る様になった。
そして、お茶を飲みながら、今日一日の出来事を話し、帰って行った。
結局、表向きの理由は、「試験勉強の合間の息抜き」が私の言い訳であり、「勉強で分らない事を教えて貰いに」が彼の理由だった。
見つかれば厳罰に処される事などお互い分っていた。
けれど彼は来たし、彼を部屋に入れない選択を私は取らなかった。
儀礼的な文句を言うには言うが、私は彼が訪れる事を楽しみにしていた。
だから私は、客人に振る舞う様バラエティーに富んだ茶葉を用意したり、なるべく自分は好んで食べない甘いモノなどを用意した。

そう、毎夜のこの逢瀬は、私のこの学園での恐らく唯一の青春らしい歓びだった。
彼の話は面白く、大凡私の行った事の無い冒険や悪戯などで満ち溢れていた。
彼の話を通して、私は自分が過ごせなかった少年時代を再現し、心躍らせていた。

彼がそんな話だけをしに、私の部屋へ毎夜通っているとも思ってはいなかった。
けれど彼は核心に触れる様な話も行為もしなかったし、私もそうだった。
キスだけを除いては。
その瞬間だけ、私達の間には甘やかな緊張感に満たされ、私は決してその感じが嫌ではなかった。

勿論その頃から、実際はもっと前から、それは、我々の奥底に確実にあったのだろう。
けれど私はそれを明かそうとはしなかったし、彼はそんな私に気付いていて、待ってていてくれたのだと思う。

この関係が期間限定で終わってしまうなど彼は予想もしていないだろう。
私の甘えから来るこの裏切りに近い行為に、何度か私は心の内を吐露しそうになったが、彼の笑顔をみると、決まって口をつぐんでしまった。

それ程彼は私にだけは、外では見た事の無い優しく柔らかな微笑みを見せたのだ。
そしてその笑顔を見る度に、私は穏やかな幸福感に包まれた。
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