長編小説〜Double Helixシリーズ〜完結
□決別
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クラピカが去った後、クロロは夕陽に照らされる部屋の壁に暫くもたれかかり、あかあかと落ちていく入り日を見るともなく眺めていた。
『もう、自由になれ、クロロ。』
いつかクラピカはそう言って俺に微笑んだ。
俺は軋む胸を押さえて床に踞った。
『どうしてお前はいつも…。』
そして…
『どうして俺はいつも…。』
無実のお前から両親を奪ったのはこの俺だった。
そして今度は、俺はお前の自由を奪ったのだ。
いつもお前から、輝かしい未来を奪うのは俺だった。
『おめでとうって、言えないや。』
偽善者の言葉が蘇る…。
考えれば解った事なのに。
ノストラードにお前を行かせれば、こうなる事は予想できたのに…。
この部屋から出て行く時、クラピカは振り向いて微笑むと言った。
『でも、これで夢が叶う。
お前と、私の…。
私達のホームを作る事が出来る。
だから、私はお前に感謝しているんだよ。』
その笑顔は、しかし俺の心臓を貫いた。
いつからか図書室で仕事をしていると、クラピカは事ある毎に俺に言う様になった。
『私は、お前や、モラウさんや、ホームの皆と共に過ごせた事を心より感謝している。
世の中には両親と不幸な別れ方をし、そして恵まれない環境で育つ子供が多い。
私は、いつかモラウさんの様に、孤児院を建てたいのだよ。
お前や私が受けた恩を返したい。
私達の様に、彼らにチャンスを与えたい。
その時は協力してくれるよな、クロロ。』
それをお前は夢と言った。
そして俺はそれを聞く度、途方に暮れて曖昧に微笑んだ。
これからもずっと二人で居られる約束手形、それは俺の喜びだった。
けれどお前の、それだけが真の幸いかの様に残された自分の未来を差し出してしまうのは、俺の胸の奥に抉るような痛みを伴わせた。
それがクラピカの夢なのだろうかか?
そうやって自己犠牲の人生を歩む事が?
否、俺は知っていた。
それなのに俺は、それを二人の夢にしようと誓った。
夕陽が残酷な程緋く燃え墜ちていく。
喉の奥が灼けるようだった。
罪深い偽善者は業火に灼かれ永遠の苦しみを味わうのだ。
俺は拳を床に叩き付けた。
鈍い痛みが俺の胸の軋みを膨れ上がらせた。
俺は知っている。
なのに俺はこうやって此処に座って、また彼の不自由をただ嘆いている。
俺は本当に何もお前にしてやれないのか。
『一生お前の為に生きていこう。
お前の幸せ、お前の笑顔の為に、そしてこの世の祝福をお前に捧げる為に、生きていこう…。』
そう心定めてクラピカを見守り続けて来たのは偽りの無い想いだ。
例え国外であれ、結婚して子供を作ったにせよ、クラピカと共にホームを作る夢があれば俺達はいつでも共に居られる。
けれど、俺は知っている。
それがクラピカの本当の幸せでは無い事を…。
目を上げると、チェストの上にホームの丘で笑う皆の笑顔の写真があった。
モラウ親父の横でクラピカが、滅多に見せないはにかんだ微笑を浮かべていた。
それはこの学園で柱の陰から垣間見た、あの下級生達と談笑し合う笑顔と被って幽かに煌めいた。
新学年が始まって、最終学年になった生徒達は大学入試に向けて、一斉に勉強に集中する様になった。
校舎の中庭にはサマーソルベットの淡いブルーやガーデンダリアの眩いイエロー、真っ赤なケイトウなどの秋の草花がウィンザーガーデンに彩りを添えている。
それぞれの学年は気持ちを新たに、新しい学年のネクタイを結び、新たな年度に向かった。
夏休みが終わり、新学年が始まると早速キルアはクラピカの部屋を訪れたが、何故か窓が締め切られていた。
ぴっちりと窓を覆うカーテンは部屋の灯りを少しも漏らしてはいなかったから、クラピカが部屋に居るのか居ないのか、外から伺い知ることは出来なかった。
そんな事は今までには無かった。
いつもキルアがハウスを抜け出し、クラピカのチェンバーに向かうと、木々の梢の合間からクラピカの部屋の電気が零れて見える。
あのヒトはカーテンを開け放し、窓際のテーブルスタンドだけを灯し、いつも本を読んでいた。
いつも、その横顔が見えると、胸の奥がつかえる様な切ない気持ちが込み上げて、思わず枝を蹴る足に力が入った。
けれど、それから何日もクラピカの部屋に通ったが、窓もカーテンもキッチリと閉ざされたままだった。
何度か投じられた石つぶては、空虚な音を立てて、落ちていった。
数日して、キルアは新たなチューターに引き継ぎをしにホームに来たクラピカに、休みが明けて初めて至近距離で出会う事ができた。
クラピカは最終学年になってからは、引き続き役員であるプリフェクトであったものの、めっきり担当のハウスに来る事は無くなった。
だから尚更クラピカがハウスに来ると一気に下級生が群がった。
「クラピカ!」
やっとの事で駆け寄るゴンの声に、クラピカはゆっくり振り向くと、
「やあ。」
と微笑った。
その笑顔は、初めてハウスで出逢った時の、あの「優等生の様な」笑顔だった。
今だから分かるその感情を伴わない笑顔に、キルアは酷く不安を感じた。
「久し振りだな、二人とも元気そうで何よりだ。」
そう答える変わらず凛と美しいヒトを、キルアは射る様な眼差しで見詰めていた。
クラピカはその視線に気付いているのかいないのか、ゴンと談笑している。
違和感の元はその笑みだけではなかった。
『少し痩せた?』
明るい色彩に彩られて気付きにくいが、確かにクラピカは痩せていた。
頬から顎のラインが益々華奢で心許ない。
「休みは何してたの?」
何となくぶっきらぼうに放たれた言葉に、クラピカはやっとキルアと目を合わせた。
「実家に帰っていた。」
微かに冷ややかなニュアンスを感じ、キルアは眉を潜めた。
しかし、すかさず発せられたゴンの質問に、またクラピカの琥珀色の瞳はキルアを離れた。
「クラピカの家って、どんな風なの?
凄っごく大っきい家に住んでる気がするんだけど。」
無邪気にゴンが尋ねた。
そう言えば本人に相対するのに夢中で、クラピカのバックグラウンドなんて聞いた事もなかったと気付いたキルアは耳をそばだてた。
クラピカは暫し困った様に目をしばたいていた。
「なるほど、改めて問われると難しいな…。
確かに随分長い歴史を持った家だ。
そうだな、家と言うより城と言った方が相応しいだろう。」
「お城なの!?
凄いな、想像もつかないや。
キルアん家も大きかったけど、あれより広いの?」
「いや、ゾルディック家は別格だろう。
山一つ敷地なんだから。
あれに比べれば普通の住居だろう。」
そう言ってクラピカは困った様に微笑んだ。
「へー、やっぱり由緒正しい家柄なんだね!
家族は?
やっぱりキルアん家みたいに大家族なの?」
「義母(はは)は残念ながら既に他界しているが、立派な父と義妹(いもうと)がいて、素晴らしい家族だ。
大家族と言われれば、一緒に暮らしてはいないものの、親族は多く、ビッグファミリーだな。」
「妹が居るんだ、羨ましいな〜!
俺一人っ子だから、兄弟がいるのって憧れるんだ。」
「…そうか。」
クラピカの瞳に陰が過ぎったのをキルアは見逃さなかった。
ゴンとクラピカが暫く他愛の無い話をしていると、夕食の鐘が鳴るのを合図にクラピカが言った。
「それでは私は失礼する。
二人も元気で。」
そう言ってクラピカはまた「優等生の様な」笑顔を向けると、去っていった。
『どうして俺を避けるの?』
ゴンが居なければ、追い縋って問い正したかった。
けれどキルアは去っていくクラピカを、ただ黙って見送るしかなかった。
結局、話らしい話など出来なかった。
ただ明らかに分かった。
クラピカはキルアを避けている。
キルアは俯いて唇を噛んだ。
以前クラピカが自分を避けていると思っていた時に感じた気持ちはどちらかと言えば怒りだった。
しかし今はむしろ哀しみが心を占めていた。
長い石造りの廊下を抜け外へ出ると、肌寒い空気が俄かに二人を包み込んだ。
昨日までそこにあった夏は夕暮れになるとすっかり影を潜め、時折吹き抜ける風が秋を感じさせる。
ゴンとキルアは人影の無い石畳を、黙ってカレッジホールに向かった。
押し黙るキルアを何度か心配そうに見ていたゴンだったが、ポケットに手を突っ込んだまま、何も言わず俯き加減に歩き続けるキルアの横で、結局言葉を発する事無く同じ様に歩いていた。
「俺気付いちゃったんだけど、」
不意にゴンが切り出した。
「キルアが言ってた片思いのヒトって、クラピカじゃない?」
「!?」
心臓が口から飛び出しそうだった。
キルアは唐突な、しかも核心を突いたゴンの問いに、何も言葉が出なかった。
普段以上に大きく見開かれたキルアの瞳に、満足げに笑うゴンが映り込む。
「当たりでしょ!」
耳がカアッと熱くなる。
色んな言葉が、言い訳やら冗談めかした反撃やら、はぐらかしの言葉が頭を駆け巡っていた。
それでもキルアは馬鹿みたいに口を開けたままだった。
「らしくないなあ、キルア。
ホント、バレバレだって、そんな分かり易いリアクション。」
心臓が口元までせり上がって来ているみたいだ。
全身の血が一気に頭に回る。
「…何で…そんな…、」
所在なく発した言葉はいかにも弱々しくて、キルアは半ば泣きたい気持ちになる。
「『何でそんな事分かるんだ?』でしょ?
実は、俺もクラピカ好きだったから。」
そう言って、ゴンはニコッと笑った。
「!?」
「でも今のキルア見てて思うけど、俺、そんなにクラピカ好きじゃなかったんだなあって。
だって、キルア、」
ゴンがにいっと笑ってキルアを見た。
「死にそうな顔してたんだよ今まで。
クラピカ見かけた時は、凄っく嬉しそうな顔してたのに。」
「マジかよ…。」
顔から火が噴き出しそうだった。
「マジマジ。
だからさ、俺はただ憧れてただけなんだろうなって。」
ゴンは嬉しそうにそう言った。
「キルアってさ、いつもポーカーフェイスでクールで格好いいのにね、そんな風になっちゃうなんて、よっぽどクラピカの事好きなんだね。」
「は、恥ずいこと言うなよな。」
言った言葉が微かに震えていて、キルアは黙ってしまった。
そうだった。
ゴンの言う通りだった。
『クラピカ』
その言葉を聞くだけで、こんなにも胸が震える。
「あ〜あ、降参降参。」
キルアは気持ちを切り替え様と大きく深呼吸をして、諸手を上げてゴンに向き合った。
もう今更何を言っても誤摩化し切れない。
「お前の言う通り、俺、クラピカに惚れてる。
もう自分でも信じらんない位。」
二人は小径脇のベンチに腰掛けた。
夕暮れの石畳にに二人の影が長く延びる。
キルアは暫く黙って何かを考えている様だったが、やがて静かに話し出した。
「初めてクラピカに逢った時、ほらお前がハウスで俺を紹介してくれただろ?
思えば、あん時に一目見た瞬間から、俺、あのヒトに惚れてたんだ。
けど実はさ、あの頃俺、クラピカに嫌われてたんだ。
俺がっていうか俺の家族の問題だったんだけど。
でも色々がんばってなんとか普通に話せる様にまでなったんだ。」
「キルアん家行った時は?」
「あん時は実は俺、本当にびっくりしてたんだ。
俺の事、俺ん家の事、凄く恨んでる筈なのに、わざわざ迎えに来てくれてさ。
でも俺の兄貴があんな風だったじゃん?
だからあの後学校で逢ってクラピカが結構俺と話したりしてくれてても、なんか同情されてるだけかもとか思ってた。」
「そうなんだ。」
「それから、ちゃんと告って、その後も結構頑張ってクラピカに猛烈にアプローチし続けてたんだ。
そしたら段々クラピカも俺の事見てくれる様になって、もしかしたら俺の事好きになってくれたのかな、なんて思う事も逢ったりしたんだ…。
けど、夏休み終わったら、クラピカあんな風で、全然話なんか出来てなくて…。」
「でも今日だって普通に話してたじゃん?」
「いや、全然違うんだ。」
そうだ、全然違う。
二人で居るときのクラピカは、もっと優しく、もっと切なく、もっと燃える様な目で…。
「あんな他人行儀な笑顔なんて…。」
不意に涙が込み上げる。
慌ててキルアは夕空を見上げた。
「なんだか全然分んねーんだ。
休み前はもっといい感じだったのに…。」
「キルア、何かムカつく。
キルアしか知らないクラピカっての、そんな風に話すし。」
「あ、ゴメン…、」
ゴンはむくれた顔を崩して微笑んだ。
「なーんてね、冗談冗談、確かに惚気られてるみたいでちょっとムカつくけどね。
何にも心当たり無いの?」
「ない。全然思いつかない。
もう毎晩考えてんだけどさ。」
「そっかー。
じゃさ、俺からもそれとなく聞いてみようか?」
「え?」
「俺、良いヤツだよね、恋敵応援するなんてさ。
でも、なんかこんな一生懸命なキルア見てたらさ、助けたくなっちゃった。」
「ゴン…。」
「夏休み中にクラピカに何かあったのかもしれないしね。」
キルアはまるで泣きそうな顔でゴンを見た。
「まあ、あんまり期待されると困るけど、俺も一肌脱いでみるよ。
何と言っても親友の為だしね!」
キルアはくすぐったい様な泣きたい様な気持ちになって、ベンチを立ち上がった。
「アリガト。」
歩き出したゴンの耳に、後ろに居るキルアの言葉がポツンと届いた。
ゴンは嬉しそうに微笑むと、振り返らず足を早めた。
「キルア、お腹好いちゃったよ!
早くカレッジホールに行こう!」
夕暮れに明るさを増した月の横で、星が一際明るく輝いた。