しょうせつ

□香水
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 さようなら、をいわれてしまうだろうこと、さようなら、といってしまうだろうことは、きっとあたしも、きっとあの人も、いつからかちゃんと気付いていた。

 たぶん、終わってしまうだろうと。

 あの人がぐずぐずと次いつ逢う?と訊いても、また逢うんだ、とあたしは思い、それでもぐずぐずと逢い続けた。

 さようなら、といったのはあたしだった。

 たぶん気付いてると思うけど、なんか、そろそろ無理かなあって。

 あの人は困ったように哀しそうに、笑ってみせた。

 あたしは、じゃあ、とその場を走り去った。

 優柔不断なところがふたり唯一の共通点で、趣味や気が合うわけでもなかった。

 たしかにあの人のことは好きなのだけれど、なんだか違う気がしていた。

 恋やら愛やらに消極的だったあたしとあの人は、世話好きなお互いの友人に紹介してもらって、電話番号を交換して、じゃあ今度逢いましょうと、それからだった。
 
 けれど好きだといわれたこともいったこともないような気がしている。



 あの人は車が好きだった。

 昔は車をつくる仕事に就きたかったんだ、ともいっていた。現実あの人はそれとは無関係な職に就いている。

 中古車市、のような催しがあると必ず行き、あたしもそれによく付いて行った。

 あたしは車のことは詳しくないしあまり興味もないけれど、いろいろと優しく教えてくれた。ミニカーも好きで、買い物へいくたびなんとかという車種を探していた。

 それらの話をしているときはキラキラと瞳が輝いて、なんだか失いたくないような、儚く綺麗なものにみえた。

 そのときばかりは、思わず息を止めて、ずっとあの人だけをみていた。



 さようなら、といって別れたあとに気が付いたことだけれど、尋ね忘れた事がある。

 ふわ、と香る匂いのことだ。

 あの人の隣にいるとふとした瞬間に、ふわりと横をかすめる匂い。あたしはその匂いが、懐かしくて仕方がないのだった。

 洗剤や柔軟材なのか、シャンプーなのか、香水なのか。

 中性的で、女性からしてもおかしくないような、どこまでも爽やかなやわらかい匂い。



 さようなら、といって別れてから二時間あまりが経つ。

 信号が赤から青に変わっていたことは、車の流れでようやく気が付いた。

 外灯や街の明かり、交差する車のライトの眩しさに目をつむる。

 横断歩道を渡ろうとしたときだった。

 知らない男の人が、青信号を前に突っ立ったままのあたしをいかにも邪魔そうに追い越した瞬間、あの人の匂いがした。

 懐かしいやら哀しいやら、そのまま倒れてしまいそうだった。

 あたしがまっすぐにみた背中は、あの人とは全く別のものだった。


 あの人は、今頃。

 どこにいる?

 だれを想う?

 なぜあたしはこんなことを思い出して、こんな風に倒れてしまいそうなのだろう。

 なんとかという車種のミニカーは見つかるのだろうか。そのときはだれと一緒なのだろうか。

 あの匂いを、だれが隣で感じるだろう。


 さようなら、といったのはあたしだった。


end.


⇒あとがき


 
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