鳴戸

□花泥棒
1ページ/1ページ

ひらひらひらり
無音で空を舞う花弁は粉雪を思わせ暖かな淡いピンク花弁が宵闇に浮き上がって幻想的な情景を作り出していた。
「綺麗だな。」
見上げる先濃い闇の中に淡い桜色の群生が広がる。
人里離れた山際にひっそりと咲いていた桜。
見る者がいなくても桜は憂うことなく悠然と咲き乱れ春の訪れを山々に知らせていた。
見付けたのは偶然だった。街道を外れ物見遊山に山に分け行ったその谷合にまだ寒々しい木々の間に咲き誇る桜色の木々があった。
見事だと近付き散り始めた桜並木に辿り着いた時にはすでに日が落ちてしまっていた。
誰もいない自分が独り占めしている優越感。
見上げればうす紅色の空が見える。シンと静まりかえった山々に獣もでる気配はない。桜を愛でるその最中に思い出すのはいつものあの子。
「アイツにも見せてやりてぇな…。」
本当ならこのままを里に持ち帰りたい気分だがそれは無理な話。
さて、どうしようかとくわえた長楊枝をゆっくりと揺らしながら思案する。
そして取り出したのはクナイ一本。
吹き下ろすような花の嵐。一枝を手に取りクナイを振り下ろす。
軽い音のあと手に落ちたのは満開の枝。
「花泥棒は泥棒じゃないってな…。」
この花を渡す時を思い自然と笑みが溢れる。
手折った桜を土産に里への帰り道を急いだ。

******

夜半過ぎそろそろ床に着こうかと腰を上げた時、小さな物音がした。
野鳥や野良猫ならいいがと緊張を走らせる。
身近にいつも置いている愛刀を片手に外を見に行く。木戸を開け様子を伺うが静かな庭先には不審者の姿はない。
やはり猫か何かだったのだろうと戸を閉めようとした時に不意に人の気配を感じ手を止める。不意に視界に広がるピンク色の花。
「!?」
「綺麗だろ。」
桜の枝の向こうから聞こえたのは知った人間の声だった。
一気に気が緩み刀にかけていた手を離す。
「こんな夜中に何してるんですか?」
呆れてものが言えない。
相手の行動に理解できずにハヤテは目の前の桜に呆れた顔をする。
「峠で見付けたんだ。綺麗だろ。」
満足気に言う本人は至って元気だった。悪気など一ミリもない。差し出された桜の枝を受け取る。美しいとは思う。自分とて花を愛でるのは嫌いではない。しかしだ、物事には適した時がある。
「夜半過ぎですよ…。」
何時だと思っているのだと思う。
「散る前にお前に見せたくてさ。」
そう言う彼の洋服はあちこちが汚れたり解れたりしていた。確にこれを見せるために急いで来てくれたことは解る。
「あぁやっぱりハヤテには桜が似合う。」
自分に持たせた桜と自分をあわせて満足そうに笑った。
「何言ってるんですか。」
歯の浮くようなセリフに恥ずかしく頬を赤らめると気にした様子もなく笑みを浮かべている。
「黒髪に良く映えてるぜ。」
柔らかな花弁が頬を撫でる。
「あぁ花は綺麗ですね。」
花を愛でる暇もなかったと今気付く。そう思えば夜桜など風流なものだ。
「花など手折ってきてよかったんですか?」
大ぶりの桜の枝を改めて見て尋ねる。
「花泥棒は泥棒じゃないからな。」
罪に問うような無粋な輩はいまいと笑う。
「風流人でもないのに…。」
彼の言い草に苦笑を漏らす。
「綺麗なものを愛でるのは花柳人のすることだろう。」
粋だとでも言いたげだ。
淡く彩る桜色に季節の走りを感じるのは確でそれを無粋だとは思わない。
「桜、ありがとうございます。部屋に飾りましょう。」
夜分遅くなのは些か問題ではあったが粋な土産に礼を述べる。
「花摘みは罪になるかね?」笑う表情が少し変わる。
なんだろうといぶかしむ隙なく軽く触れた唇。
驚いて目を見張れば、苦笑を漏らす顔が見える。
「花泥棒は泥棒じゃない。」
離れた彼が口にした言葉。見張った瞳の先の彼は笑顔を見せる。
「人を花に喩えるなんて…。」
何を考えているんだと言いたい。
「罪には問われないだろう。」
笑って言う。花を盗む人間は花を愛でるもの。
「手土産の礼を貰って帰るよ。」
楊子をゆっくり回したあと姿を消した。
「花泥棒だなんて…。」
一陣の風に桜の花弁がひらりと舞った。
月夜に映える花弁はキラキラと光を放って美しく空を舞う。
「何れ私も浚われるんでしょうかね。」
呟いた言葉に自分で苦笑を溢す。もう浚われているのかもしれない。
「花泥棒は泥棒ではないか。」
罪ではないのなら逃げなければいいのにとその言葉を告げるのは朝になってからで良い。
花を愛でつつ笑う。
この花と私は同じ。
手折られるのを待つだけ。



[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ