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□無題 A
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「へぇ…もうこんなところまで進んでるんだ。」
数学の教科書と参考書、それとノートを目の前に真剣な眼差しで言う。公式を読み解こうとしてその熱い眼差しは教科書へ注がれる。その真剣な眼差しがちょっとでも自分の方を向かないかな、と考えて期待してそうしたら睨むような瞳がこちらを向くことを想像して睨まれるのは嫌だなと考えて真剣に数学を解こうとしているタラオの横顔を眺めるだけで満足する。
「イクラちゃん…勉強するのは君の方でしょ?」
その熱心な視線に気付いたのか口先を尖らせてこちらを向く。イクラは今思ったことを苦笑してタラオに謝った。
「うん、ごめんね…だってたらちゃん真剣にやっているんだもん。」
くすくすと忍び笑いをしてイクラは答えた。
「イクラちゃんが解らないっていうから…僕、真剣に考えてたんだよ。」
困ったように眉を寄せて言われてしまうとイクラは参ってしまう。
「ごめんね」
何の非があるのか解らないが謝ってしまう。
自分のシャープペンシルを持ってイクラは教科書の問題に目を落とす。
その真剣に問題を解く姿勢にタラオはくすりと笑った。
間近のイクラはタラオと同じくらいの肩の高さがある。中学生になったばかりのイクラは年上のタラオに並ぶくらいの高さまでもう成長してしまった。追い越されるのも時間の問題だろう。
それでもタラオにとっては大切な兄弟みたいなものだ。
家が近いから小さな時から一緒に遊んだ。校区は違うが学校に上がっても一緒にいる時間はやはり誰より多かった。
こうやって頼ってくれるイクラが大事で嬉しくってタラオは少し擽ったい気持になる。
そんな気持になりながらイクラのスラスラと走るシャープペンシルを目で追っていた。その走りが急停止する。
「たらちゃんここ、問3の…ここまではわかるんだけど。」
そっとノートを傾けるけど少し足らなくて自然と二人は肩を寄せるような姿勢になる。タラオは自分のシャープペンシルを持つと書き書けた公式を足すようにペンを走らせる。
「ここはね…この数字を代入して…ね、そうすると…ここから分かるよね?」
走る筆跡の違う数字が書き足される。イクラは半分タラオの言葉を聞きながら足されて出来た公式をじっと見ていた。
「イクラちゃん解らないところあった?」
じっとノートを見つめ解こうしないイクラにタラオはしんぱいそうに尋ねる。
「ううん。」
イクラは小さく首を振った。タラオの説明は解りやすかった。この続きを解いて回答を出すことは出来る。
けれどイクラは奇跡の様な目の前の出来事から目が離せない。解かなくては、とは思う。けれどもったいない気分になってどうしても続きを書くことができなかった。
これではいけない、と三回思って四回目は少しだけ呟いて、シャープペンシルを持った。
タラオの書いた「=」の先を出来るだけ丁寧に綺麗に書くことに気を付けた。勿論正しい計算を書く。
慎重に必要以上に筆圧の高くなった指は思うようには動いてくれないが「A.」までしっかりとかいた。
「たらちゃん。あってるかな?」
そっとまたノートをタラオに向ける。タラオはイクラの書き足した数式を見る。
じっとノートに目を向けるタラオをじっと見る緊張で高鳴る胸の音が煩く耳に鳴る。
タラオがノートから目を放した。ゆっくりとした所作に見えた。スローモーションのタラオの顔はこちらを向くとにこりと笑った。
「正解。あってるよ。」
たった一つのことだけでニコリと笑いあう。
「良かった。」
ホッと一息吐く。
タラオからノートを返されたイクラはじっと自分が書いた数字とタラオが書いた数字が混ざる数式を見る。
ただの数式でしかない。
でもイクラにとってはとても貴重なノートになった。

終わり
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