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□無題 F
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スゴいねスゴいね阿部くんはスゴいね。
どもりながら上目遣いに何度も繰り返す、言葉。
出会った時から仕草も態度も変わらない。いつも自信がない、挙動不審でおどおどしている。視線も合わすまでに時間がかかる。目が合うまで待って一言言った。
スゴかねーよ。
何も。誇れるものなどこのピッチャーの前には何もない。
阿部くんはスゴいよ。
ぐにゃりと笑った顔。
何が、と言い返したりはしない。お前の方が凄いよと言葉に出しては言えない言葉を胸の中だけで言う。
凄いコントロールを身に付けて、それでも認められずに否定され続け腐ってもいいのにずっと野球を好きでいた…やりたいとマウンドに執着する。そんな目の前のピッチャーより俺の何が凄いなんて思えるだろう。
「三橋。」
「な、何、阿部くん。」
呼ぶと反射的に首を上げる聞き漏らすまいと必死で聞こうとする。じっとこっちを見つめる瞳がやけに大きく見えてその瞳を見ながら言った。
「野球が好きか?」
ハッとした顔、目を見開いて紅潮した頬。うんと頷いて「すき」と答える。
「勝たしてやるよ。行こうな甲子園。」
また、うんと頷く。
「あ、阿部くんの言うところに投げるから…だから俺は投げれるんだ。あ、阿部くんがいるから、お、俺は駄目ピーじゃなく、な…れる。」
だから阿部くんはスゴいんだよ。
はにかみ笑う。
恥ずかしい言葉を聞いて、けれどそれが嫌じゃなくて寧ろ少しだけ嬉しいなんて思ったりだけどそれを認めるにはちょっと躊躇われる。
「野球はチームプレーだからな。サイン覚えたか?」
尋ねればサッと青い顔になって小刻に震え出す。
「覚えろって言っただろ!?」
語気を強めて言うと大きな瞳はみるみる潤み出してきてしまう。
「覚えるの手伝ってやるから紙もって来いよ。」
青い顔のまま返事もろくに変えさずにパッと走って行く後ろ姿を見つめる。
真っ直ぐな台詞に虚勢を張って自分を守ってポーズを取ることしか出来ないけれど、暫くはそれをそのままにしておいてくれ。

終り
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