鳴戸

□遺品
2ページ/3ページ


「死んだらなにも残らないので、それはとても悲しい事なのでなにかを残したくて私は考えました。」

考えて考え抜いた結論は、世継を作る事でも、忍びとして輝かしい功績を残すことでもなく、考えついたことはとても自堕落で退廃的な事柄だった。
それはとても簡単な事。
誰かに覚えてもらえば良いのだ。
身体の隅の隅まで表情の一つ一つを記憶に焼き付ける。
誰にも晒さない秘部までも晒して、すべてをその人に焼き付けよう。
私より長く生き延びる人
優しくて軽くて情に深いそんなの人がいい。
私の好みの顔なら尚更良い。

誰が良い?
誰が一番この罠に嵌まってくれる?

そして私はある男に白羽の矢を立てた。
あの人だ。華のある顔立ち屈強な身体、それでいて情の深いあの人にしよう。
色素の薄い髪、自信たっぷりの顔、張りのある声、形の良い唇、私の好みだ。

罠を張って、誘う。
甘い蜜の匂いを嗅ぎつけてきっとあの人はやってくる。
早く早くやって来てそして嵌まってこの罠に。
一生離さない。
溺れて私に、夜に昼にと私に触れて。
私無しに生きていけないくらい私は貴方に優しく接しましょう。

いつか死ぬ時、私の亡骸を抱いて泣いてくれると確信するまで、私の事を一生引き摺って残りの人生を生きてくれると確信できるまで。

******


「何でだろうな、お前のことなんで今迄解らなかったんだろう。」
彼独特の嫌味のない笑顔で私に語りかける。
「そんな事ないですよ。」
私は優しく彼の頬に手を添え答える。これはある意味で前振りであり、周到に用意した仕草だ。
「良いじゃないですか、こうして今いられるんですから。」
笑顔、私に出来る最上の顔を彼に向けて私は「幸せ」を装う。
彼はその顔に満足して彼らしい明るい笑顔を私に向ける。
笑顔―――全てを隠せる魔法の顔
彼はきっと解らない。
解らなくて良い。
貴方という人に私の知らせたい私だけを知っていれば良い。
私は微笑みに微笑み返して彼の唇に柔らかく自分の唇を合わせた。
啄ばまれ、深く口付けをされた。
熱い体温を口の中に感じる。
口の中を満遍なく蹂躙される。
吐く吐息さえも掠め取ってしまうように彼の口付けは深く激しくなる。
やがて何もかも真っ白になってしまう。
この唇が好き、熱い体温も、下を向く時掛かる彼の、茶の髪の毛の感触も。
執拗に口腔内を貪る深い口付けも、熱を煽る指先も、厚い胸板も。
貴方は本当に気に入っている。
そして深い口付けの後、暫しの別れを惜しむように彼を見送る。
道の向こう、姿が見えなくなるまで、私は彼の背を見送った。
「仲睦まじいね。」
見せつけてんの?意地悪な言葉が出てくる。
気配を消していたのだろか、不意に姿を現した彼の人に目をやり答えた。
銀髪の長身の忍が現われる。
「ええ、睦まじいですよ。」
嗚呼、厭な人間に見つかったものだ。
声を掛けて来た彼は私と同じ匂いがする。それは青臭い、腐臭が鼻に付いて私を不快にする。
偏屈な上忍の言葉に私は怯む事無く返す。
「悪いですか、相思相愛ですよ。人の恋路を邪魔すると馬に蹴られて死ぬんですよ。」
知っていましたか?牽制の意味も込めて私は笑顔さえ浮かべる。
怯んではいけない。おびえてはいけない。
この男は老獪なのだ。
「相思相愛なんて、そんな事。」
冷笑を浮かべる、彼も負けていない。化かし合いのようだ。
「何がおかしいんですか?」
気分が悪い。この人と話していると気分がどんどん悪くなっていく。
「いや、なんだかね、はたから見ていて微笑ましいよね。」
軽率な笑み。覆面越しでも彼の口角が弧を描いている事が分かる。
安っぽさは演技だ。
騙されるな。
心を見透かすようなその目。
この男は見た目以上に恐ろしい男なのだ。
彼の匂いは私に似ているが、私より深く濃い。ねっとりとした空気が彼の周りには渦巻いている。
まるで純粋な毒のようだ。彼の皮肉はそのまま濃い毒になって私を犯す。
「ゲンマはお熱だけど、ハヤテは?違うでしょ。」
暴かれるのは好きではない。
この男のこの口調も好きではない。
揶揄を含んだ語調に苛立つ。
「私もゲンマさんを愛していますよ。」
嘘は付かない。
けれど真実でもない言葉を慎重に選ぶ。
恋愛感情では無いが、心の底から愛しいのには変わりない。
私の大切な人だから。
大切に私を刻み付けなくてはいけない存在なのだから。
「嘘吐きだね。お前はちっともゲンマを愛してなんかいなんだろ。」
彼は断言する。まるで全てを見透かしているかのように。見透かされるほど浅い生き方などしているつもりはない。けれど、どこか茶化したどこか傍観するような(それは客観的ともいえるのかもしれない)彼の態度は何もかもを見ているような口ぶりだ。
彼自身は何時の間にか手にした白く長い指が弄ぶようにクナイを回す。
愛するボキャブラリーに対して彼と私の考えは違うはず。
ああ、厭なあの目が私の姿を映す。
彼の隻眼
彼自身は偽者なのに
赤い瞳は全てを見透かす。
追求されてはいけない。
「貴方に言われたくはありませんね、カカシさん。」
嘘吐きはどっちだと私は彼を睨み付ける。怯んではいけない。ここで怯む事は敗北を意味する。
「なにさ。」
何が言いたいと彼は方眉を上げる。
「あの中忍とはどうなんですか。」
私への追求を逃れる為にあの凡庸な男の話をする。
人のことなどどうでもいいが言われ続けるのは好きじゃない。
なによりこの男とまともに話しをするのは好まない。
「あの、お人好しの中忍とは。」
冷笑を浮かべる。外で言われている程この人はあの中忍を愛してはいない。
あの平凡な中忍を。何ら愛すべき特長を持たない凡庸な男を。
この奇異で異端な男は決して愛してなどいない。
「大好きだよ。あの人は愛すべき人間だよ。」
悪びれない彼は隻眼を上弦させて言う。それが心底という表情でまた私の気分を害す。そうですかと御世辞にも言えなかった。
まして、彼は赤い瞳すら閉じてしまう。そんな奇行をどうして許せようか。
それ程、あの凡庸な男はこの狂気じみた男には必要なものなのか。
「愛すべき、ですか。」
口調に揶揄を込める。いっそ侮蔑でも良いくらいに。
この人はあんな小物を愛したりしない。それは信仰にも似た確信だった。
私は知っている。少しでも似通った所のある者として、この人の愛してやまないものを、欲しているものを。
けれど、それは決して手に入らないものである事も。
「不憫にさえ思えますね。」
ないもの強請りだろうか。それだけの力と才能と欲深さがありながら、彼の欲しているものは手に入らない。決して。
私が断言できるほど、それは遠いものだ。
「何が?」
「いえ、別に。貴方を見ていると・・・・写輪眼のカカシといえ叶わぬ願いも在ると言う事ですかね。」
手に入らないからこそ彼は欲するのかもしれない。大概歪んだ人間だと思う。それでもきっと手を伸ばすような事はしたんだろう。
「人だからね。欲しいモン全部は手に入らないよ。」
殊勝なことを言う彼は肩を竦める。悟ったような言葉が嘘のように聞える。
否、嘘だと確信する。
「そんなに大人しい人でしたか貴方は。」
欲しいものの為には手段を選ばない人ではないか。実に自然人らしい人ではなかったか。
「所詮、俺は飼い犬だからね。主人には逆らえない。」
殊勝な嘘を彼は連ねる。嘘だ!と胸の中で言い放つ。だが表面的には何ら興味がないように、どうでもいい世間話程度の扱いをする。
「そうですか。」
気のない返事を私は返した。
「俺はそれでいいんだよ。あの人はいつか俺を捨てるからね。」
彼が崇拝し愛し求めている人。
この里の象徴。絶対的な存在。
逆らえない。純粋に。
そうでなかったら、彼は愛さない。
狂った狂犬を扱えるのはこの世でただ1人。
それはあの凡庸な中忍ではない。
老獪で狡猾な人だ。
あの歳になってもその思考は冴え、老獪さと智略を振るう恐ろしい人だ。
「しかし貴方もいい加減捻くれていますよね。」
「そう?」
彼は笑っている。笑顔がますます私の気分を害す。
笑顔は表情を隠す。彼の笑顔は完璧。
「ハヤテ程じゃあないよ。」
「私は貴方ほど人を裏切りはしませんよ。」
現に私は私の愛すべき彼しか愛していない。他に身体を許すような事はしていない。
私は愛や欲に溺れたいわけではないからだ。
必要なのは、記憶されること。
身体に、その体臭までに染み付かせる事だからだ。
単に個人を愛しいのとは異なる。
「平然と人を傷付けられるほど酷い人間じゃありませんから。」
「心外だな、俺は誰も傷付けてなんていないよ。」
どうしてそんな事が言えるのか、彼の言動は不可解だ。
彼はまったく悪びれる様子もなく続ける。
「傷付けているのはハヤテのほうでしょ。」
「そんな事はありませんよ。」
それに、とカカシは言葉を付け足す。
「あの人はね、これで良いんだよ。俺にしか扱えない人なんだよ。」
彼は彼独特の世界観で物事を語る。
「どういう?」
私には理解できない。同じ人であるのにまるで違うものと話している気分にさせられる。
それは遠く疎外感にも似ている。(しかし彼の世界は彼にしか理解できていないのでむしろ疎外感を感じるのは彼のほうではないか?)
「あの人はね、善人なんだよ。根っからの。」
彼の講釈が始まった。私は聞く事を義務付けられる。
こうなっては堪えて聞くしか道はない。
「貴方と正反対と言う意味でしょうか。」
「善人」というボキャブラリーに彼はニュアンスを付ける。
「俺は、誰かと対比したりなんかしないよ。」
彼はとても楽しそうだ。まるで新しいおもちゃを手に入れた子供の様に見えた。
「例えば人をジャンルで分けるとすると、俺やハヤテとは違うジャンルなんだよ。あの人は、あの性格で忍びをしている、まるで奇種だよ。本当の善人さ!あの善人は俺にしか扱えないんだよ。俺専用さ。」
彼の言葉に少しずつズレているような感覚がする。
「あの人のあの性格は教師なんて職業だからだろうね!ああ、楽しい。」
凡庸な中忍が教師をしているからそれがどうしたんだと言うんだ?
「教師が天職。」そんな平凡な忍びの何が素晴らしいのか?
「貴方の理論は理解しかねます。」
まず、私とこの男が同じ括弧で括られる事が理解できない。
「ハヤテには解らなくていい事、これはね、ちょっと自慢。」
フフッと笑う。
私は怪訝な顔になってしまう。次元の違うのろけ話と言えるかもしれない。
「理解できなければ、自慢にも成りはしないんじゃないですか。」
実に的を得た問いを彼に投げかけるが彼はそんなことどうでも良い様だ。
「俺だけが解っているっていう優越感みたいなもんだから、気にしないで。」
きっと誰一人彼の真意は汲み取れまい。彼の視点、彼の考え、彼の主張と哲学がこの論理を構築しているのだろうから。
を、きっとあの凡庸な彼にはもっと理解できまい。
憐れむは中忍。
それと同時に何となく漠然と、これは遊戯なのだと思った。
あの人と同等という意味で平凡な中忍を愛している訳でないなのだ。
やはり彼にとっての最上はあの老人で、凡庸な中忍はそれに比べれば取るに足らないものに違いない。
本当はそんな事どうでもいいのだけれど、それではまるで私はただの当て馬ではないかと思った。
「じゃあ私もゲンマさんの自慢話でもしましょうか。」
「いらない。」
当て馬にしておいてこの言い草なので気に入らない。
「あの人は本当にやさしい方ですね。」
構わず私は話し出した。
私が気に入っている彼の良いところを語る。
聞く素振りは全く見せないが、彼がまだそこに居るという事は話しても構わないと言う事だろう。
「親切に接してくれます。」
優しさに付け込むのは私の悪だ。
付け込んでいる自覚がある分負い目があるのも事実だけれど、それでも、そうせずにはいられない。
私には夢があるから。
次へ
前へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ