たまわりもの。

□死海のほとり。/彼方悠様
1ページ/3ページ

そのきれいな蒼い目がふと優しげに細められた瞬間が好きだった。いつもは固く結ばれている唇がたまに綻んだ瞬間が好きだった透き通った声がうつくしい唄を紡ぐのが好きだった。きれいな声が「ルーク」俺の名前を呼ぶ瞬間は格別好きだった。ティアのことが、好きだった。


(その、ティアが、死ぬ?)


俺はいつだって大切なことに気付くのが遅くて気付いた時にはもう、だいたい事は取り返しのつかない事態になってしまっているなんてこともしょっちゅうだ。ほんのちょっと前も、それで数え切れないくらい取り戻せない大切なものを幾つも失った。だからもうそんなことは絶対しないと固く心に誓っていたはずなのに、

『このまま大地の降下作業を続ければ、命の保障は致しかねます』

また、俺は間違ったのか。


ふたりきりの部屋で項垂れてばかりいる俺には目の前のティアの表情はわからない。けれどティアがいつもと変わらない、余り感情を窺えない顔をして俺を見やっているのだろうということは何となくわかった。
こんな時でもそんな様子のティアの姿に、本当は全部が悪い夢だったんじゃないかという気さえしてしまう。もしくは、ティアは今自分の身に何が起こっているのかわかってないんじゃないか、とか。

唇を噛み締めて俯いている俺に、ティアがそっと微笑んだ気配がした。


「ルーク」


俺はいつもティアに置いていかれてばかりだ。出会った時から、気付いたら馬鹿みたいに目の前の背中ばかりを必死に追い続けてここまできたというのに、ようやく同じものを見て一緒に生きていけると思ったばかりだったのに、そんな、俺なんかじゃ到底追いつけないような遠いところに行ってしまわれればいったい俺はどうすればいい。

何も言わずに下を向いて黙っている俺にはただ研究所の白いタイルが視界いっぱいに見えるだけ。しかしティアに声をかけられたと同時に、まるで水面に小石を投げ込んだみたいに一面白ばかりだった視界がぼやりと波紋を広げて揺れた。前髪に隠れて目元を手の甲で拭い何とか顔を上げた俺に、ティアが、長い睫を伏せたまま薄紅の唇を優しく開いた。
そしてひとつひとつの音を、慈しむように彼女は唄った。


ル ー ク 。





そのやわらかな響きを俺は生涯忘れることは出来ないだろう。俺は今まで、こんなにうつくしいものを見たことがなかった。こんなにも世界に、きれいでかなしいものがあるなんて、知らなかった。
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ