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□今、賛美歌を君に。
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Jesus Joy of Man's Desiring
Holy withdom, love most bright






休日の教会でミサが行われていることは知っていた。

街の小さな教会で、可愛らしくも、その空気は祈りに満ちて荘厳だった。

神を愛する人々と、神に愛されて祝福を享受する人々がここにいるのだ。

清らかな賛美歌が、胸一杯に広がる。

鮮やかな色彩を持ちながら、その一音一音が、今自分を包んでいるのだと。

その音の群れの中で一瞬だけ、マリア様の微笑みが見えた気がした。



「良いフレーズが思い浮かんだので、書き留めたくて。」



志水は屋上にいた。
隣で香穂子が五線譜に美しい模様を書き付ける志水の手元を見つめている。

流れるようにさらさらと左から右へ、左から右へと進む。

最後に「‖」と区切って滑らかな手は止まった。



「すみません、話の途中でした。」

「良いよ。
志水くんの手元見てるとおもしろいもん。
まるで魔法みたいで。」

「魔法、ですか。」

「そう。
音楽は無限に存在するけど、この世界でたったひとりだけ、志水くんだけしか使えない魔法だよ。」

「僕だけ…」

「誰も誰かのかわりにならない個性を持っていて、それを音に変換できる人はきっと多くないと思う。

「それって香穂先輩も同じです。奏者として音を表現するか、曲そのものをつくるか、それだけの違いですから。」

「そうだね。」

「僕、この曲が完成したら、先輩に弾いてもらいたいです。
きっと良い演奏になると思います。」

「ありがとう。
楽しみに待ってる。」



優しく、穏やかに微笑み合う。

ゆるやかな時の流れが心地良い。

空は青く、こんなにも平和だ。

的確に西へと向かう太陽に流れる雲は少しずつ色付いていた。
「で、何の話でしたっけ?」

「ああ、この間ミサに行った時の話。」

「そうでした。
とても良い演奏でした。
特に賛美歌の音の重なりがおもしろいんです。」

「賛美歌?」

「そうです。
聖歌隊の中には小さな子供もいるんですけど、一生懸命音を追っている姿がとても可愛いんです。
皆で歌っているので音が正しいわけでもないんですけど、時々すごく良いなって思う音があります。」

「天使の歌声だね。」

「はい。その中にいると、時々ほんの一瞬だけマリア様が見えます。」

「志水くんってクリスチャンだっけ?」

「いいえ、そういうわけではないですけど。
気分の問題かなぁ?」

でも確かにあの時見えたのだ。
本当に一瞬だったけれど。
すごく、誰かに似てた気がする。
たくさんの音の中で、絶対に一人ではつくれない音楽。
お世辞にも上手いわけじゃないけれど、技術を越えたところにある音楽。



「帰ろっか。」

「そうですね。」



志水は開きっぱなしだった五線用のファイルを閉じた。
淡い水色が夕日で黄緑がかって見える。
逆光が黒い二人のかげを引き伸ばしていた。










続く
 

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