SS〜攻殻〜

□なんでもない一日(SSS)
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「妻が。」
なんでもない、当たり前の日常に。
ぽっつりと。

その声は男の、聞いた事のないような声だった。
諦めたような。
突き放す様な。
それでいて縋るような。

「…遊び、なら構わないと言われたよ。」

何が、とは聞かなかった。

ただ、

「そうか。」

と、返事を返した。

男からは、その背中しか見えない。

ただ足元で、男の飼い犬が優しげに撫でられている。

「もう、やめようか。」

ぽっつりと。
男が言った。

その声はやはり、何処か知らない声のようだった。

だから、男はまた同じ台詞を返した。

飼い犬が男の足元から立ち上がり、
不思議そうに顔を見ている。

「帰るよ、またな。」

男が初めてこちらを見て言った。

泣いているようにも。
笑みを浮かべているようにも。
奇妙さを感じるほど歪んだ顔だと思った。

今度は何も言わなかった。

男の背が少しずつ遠ざかる。

その背は、
引き止められたいようにも、
遠くに押し出して欲しいようにも、
抱きしめて欲しいようにも。

飼い犬だけがその背を不思議そうに見送る。
もしかすれば自分も同じような顔をしているのかもしれない。



ドアが閉じる。


静かになった後、
眼を閉じた。



明日もまた、

当たり前のように
なんでもない一日が始まるのだろう。



そこまで考えて。
ふと。

男は思った。

落ち着いた、優しく、低い声は。
いつも己の傍にあったものではないかと思い直す。

確かに傍にあった声だった、と思った。

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