Novel

□記憶と時空の錯綜
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気がついた時には乾ききった大地に仰向けに横たわっていた。

僕はしばらく雲ひとつない青空を見つめていたが、
自分が何故ここにいるのか、どうしても思い出せなかった。
それどころか、今まで自分が何をしてきたか、
何もかも分からなくなっていた。

ただ、自分の名がリンだということだけは覚えていた。

僕は淡い紫の体に深紅の冠羽という姿だった。記憶がなくても、
それが変わった色合いだということは鳥特有の本能みたいなもので理解した。

僕は誰なのか。僕はどこにいるのか。僕は何をすればいいのか。

具体的なことを考えようとすると、何もかもが
真っ白な世界の向こうに消えてしまう。

僕は立ち上がり、一度体を揺すって砂を落としてから舞い上がった。
どこへ行くのかのあてもなかったが、こんなところで干からびているのは
自分のすることではないと思ったからだ。



乾いた空気の中ひたすらに翼を羽ばたかせていると、
何かがこすれるような、不快な高い音がどこからか聞こえてきた。

僕は好奇心を刺激された。

それで、針路を変えて小高い砂丘を回り込んだ。
にわかに吹いた風で砂が目に入ったが、瞬膜に当たって跳ね返された。

結果的に、僕の好奇心は僕の運命を変えた。
そういっても過言ではないだろう。そして同時に、
彼女の運命も変わっていた。



彼女は、砂丘の下のほうに、半分砂に埋もれた状態で倒れていた。

僕が近づいていくと、なんだかよく分からなかったその姿は、
巨大な顎と翼を持つ生き物に変化した。

彼女は美しかった。傷つき、命絶えようとしていても、淡い紫色…
僕と同じ色をしたドラゴンは、鋭い目で僕を見ていた。

「見かけない鳥ね」

砂混じりのざらついた声で彼女は囁くように言った。
僕はなんと答えていいか分からず、ただ黙っていた。

「私はアルファリラ。…私の命はもう長くはもたない。
それに、追っ手も来ているでしょう」

僕を見る彼女の首には、長く切り裂いた傷口があった。
彼女が身動きすると、傷口で鱗と砂がこすれてさっきの音を立てたのだ。

「その音が僕を呼んだ」

僕が言うと、アルファリラは驚いたように目を見開いた。

「こんな小さな音を?…あなたはやっぱり、ただの鳥じゃないようね」

僕は少し考えてから答える。

「僕には何も分からない。僕は何も覚えていない」

「…あなたの名前も?」

「名は、覚えている。僕の名は、リン」

「リン……」

考え深げにアルファリラがつぶやいた時、僕の耳に微かな羽音が届いた。
羽毛のこすれる柔らかい音ではない。鱗のこすれる金属音だ。

「追っ手というのもドラゴンなのか。きみは、助からないのか?」

僕はとっさにそう尋ねていた。

少し不思議な目で僕を見た彼女は、深くため息をついた。
ぎしぎしという耳障りな音が僕の頭にねじ込まれる。

「この怪我では飛ぶことなど出来ない。…でも……」

微かに、アルファリラが目を輝かせる。

「リンが来てくれたから、私はリンの姿を真似て
鳥になれるかもしれない。そうすれば……」

そう言って彼女は首をもたげた。

僕は、最初に見たのは彼女が鳥に変身しようとしていた姿なのだと悟った。

僕を見つめるアルファリラの周りに、
キラキラと光る風が舞い起こる。

驚いて僕が一歩後ずさると、その風の中で彼女は変身した。

僕によく似た、淡い紫と深紅の鳥。

けれど、彼女は傷だらけだった。特に、首の傷は生々しく、
小さな鳥の体では耐え切れないのではないかと僕は思った。

僕が駆け寄って支えてやると、アルファリラは
弱々しく立ち上がって翼を広げた。

「飛んで、リン、私を支えて飛んで」

苦しそうな声に、僕は躊躇しながらも
そっと彼女の体を片翼で支えて舞い上がった。

遠くでドラゴンたちが鳴き交わしているのが聞こえた。

「リン、回って。空中で身をひねって。そうしたら、
あとは私についてきてくれればいいから」

アルファリラがかすれる声を振り絞って叫ぶように言う。

僕には何のことかさっぱり分からなかった。
けれど、彼女の必死な形相に気圧され、
言われたままに空中でくるっと回転した。

次の瞬間、僕は極寒の暗闇の中にいた。

ぎょっとした僕はアルファリラを探したが、
触れているはずの彼女は感じられず、彼女を呼んだ自分の声も
耳に届かなかった。

冷たさが僕の全ての感覚をしびれさせる。
だが、僕はこの暗闇に何か懐かしいものを感じていた。
それが何かは分からないが、なんとなく、
ここに来るのは初めてではないという気がした。

そして、僕がアルファリラに意識を集中させたとたん、
闇が開けた。



 *   *   *



ここから先は、アルファリラや他の誰かが語ってくれるだろう。
僕が話すのはこれで終わりだ。

この後、僕が記憶を取り戻して元いた場所に帰るのは
これから数年後のことだ。

僕とアルファリラの出会いは、この世界の史実の重要な一端を担う
物語の始まりとなった。その物語を語るのは、僕ではない。

全てを知った今の僕が、記憶を失っていた過去の自分に言うなら、
「愚か」だろう。

記憶がある僕なら、あの時彼女を助けなかった。
いや。助けられなかった。
なぜなら僕は             





(彼の記録はここで途絶えている)





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