寄り添い花シリーズ

□寄り添い花
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「初めて笑ったのは、この花の前でしたね」

 しだれた大ぶりの胡蝶蘭を見つめて桐島は呟いた。

 これは初めて奏太にプレゼントした花だ。


『少し大きすぎましたでしょうか』と苦笑した自分と花を見て、これまで全く笑うことのなかった奏太が『ありがとう、きりしま』といい、本当にかすかに微笑んだ。

 そのとき、気付いた。奏太は自分が笑えば笑ってくれるのではないかと。

 桐島は努めて奏太の前では笑顔でいることにした。

 笑顔だけでなく泣くことも怒ることもうまく出来ないような奏太だったが、かいがいしく世話をやく桐島に、少しずつ笑顔を見せるようになる。

 そして出会って2年が経つ頃には奏太はよく笑うようになった。

『きりしまっ』と嬉しそうに執事を呼んで走り寄り、抱きついた主は、満面の笑みを見せてくれる。

 その笑顔は、まるでとろけたマシュマロのように甘い。

 こんな顔を今まで隠していたなんて、もったいない……


 桐島は、奏太の笑顔の虜になった。



「初めて泣いたのはこの花を差し上げた頃……怒ったのは、この花が咲く直前……」


 花を見るだけで、過去の奏太が思い出される。


 怒りにまかせて腕を振り上げた彼を、思い切り叱った事も、涙に濡れる彼を、それが止まるで抱きしめた事も、何もかも、幸せの記憶。


 出会った瞬間に、自分は、恋に落ちていたのかもしれない。


 慈しむように蘭に手を伸ばし、その花弁を優しく撫で、桐島は呟いた。


「奏太さま……あなたが、大好きです」


 それは、もう言えなくなってしまった言葉。伝えられなくなってしまった言葉。

 彼の体を手に入れた瞬間にこの言葉は消えたのだ。

 過去、何度もこの言葉を奏太に、雨のように降らせてきた。

 言う度に奏太は嬉しそうに微笑んだ。


 あなたの笑顔を見る事が出来たら、それでよかったのに

 体より、何より

 あなたが笑ってくれていたら、それだけでよかったのに


「奏太、さま……」

 焦がれた思いにきつく顔をしかめたせいで、視界が歪んだ。



 手を出したのは自分だとわかっている。

 本当なら、抱けと迫った奏太に対し、拒否を貫くことだってできたはず。

 なのに、自分は……この花弁のように柔らかで艶やかな体をなめ回した。

『んっ、、はぁ、ぁっ、』

 震える肌に狂った。

『あ、、来てっ、、、っ入れてっ』

 彼の肉に包まれる快感に狂った。

 奥まで穿ち、揺らして、何度も果てた。

 なにより、


『ああっ、っき、きり、っしまぁっ!』


 彼の己を呼ぶ声に、狂った。


 いつも彼は小さなペニスから白濁を散らしながら自分の名前を呼んだ。

 初めての夢精で名前を呼んだのと同じように。

 その姿を見る度に叫びたくなる。



 あなたを愛してる
 あなたを愛してる

 愛してる
 愛してる

 愛してる


「奏太、さま……」


 消えそうな声でつぶやいた愛しい名は目の前の花にだけにしか、届かない。



 追憶した過去に涙を堪えて花に想いを絞り出していた桐島に、


「桐島、お前は相変わらずよく尽くしてくれているようだな。手入れの行き届いた温室はいつ来ても美しい」

 落ち着いたバリトンボイスが届いた。


 伸ばした手をさっとおろし、恋に狂っていたはずの彼は素早く執事の顔を作る。

 そして、振り返ると同時に深く頭を下げた。


「旦那様、お越しならご連絡をいただければお迎えにあがりましたのに」

「連絡するとお前はこの嵐の中でも私が来るまで外で待っているだろう?だから止めておいた」

 顔を上げて声の主を見つめた桐島は、苦笑を返す。

 すたすたと歩み寄ってくる男は奏太の父親。齢45にしてこの有森グループを統べる若き総帥。

 忙しい中、時間ができた時にたまにやってくる彼の訪問はいつも突然だ。

 連絡をくれないこともしばしば。

 しかしこの屋敷は彼の家なのだから、連絡がなくても当然である。

 綺麗にダークブラウンに染め上げた柔らかな癖毛が総帥の精悍な顔によく似合う。

 息子と余り似ていないのは、奏太が母親にそっくりだからだろうと、プライベートリビングの暖炉の上にある奏太とよく似た奥さまの写真を思い浮かべた。

 総帥は高級なダークグレーのスーツを来ているが、その体は程良く引き締まり、きちんと鍛えられていることが服の上からもわかる。

 178センチの桐島を10センチほど上から見下ろす目線で、きょろきょろと辺りを見回した総帥が

「奏太と一緒じゃなかったんだな」

 残念そうに言った。

「奏太さまはドイツ語の授業を受けておられます」

「そうか。どうだ、奏太の様子は」

「お元気でらっしゃいます。勉学も滞りなく進んでおります」

 もう一度軽く頭を下げた執事の近く、総帥は歩み寄り、花の真向かいにあるベンチに腰を下ろし足を組んだ。そして蘭を慈しむように眺める。



「もうすぐ、あいつも15だな」

 父の顔で総帥がつぶやいた。


「ご立派になられました」

「お前が来たときは奏太はまだ6歳か。愛想のないかわいげのない息子だった」

「いえ。とても聡明で麗しく、奏太さまは6歳には見えませんでした」

「今だって15には見えないな。母親に似て童顔だし身長も160に満たないだろう」

「いえ。きっと二十歳を過ぎた頃には、大変な美男子になられることでしょう」


 その言葉に総帥は執事へ視線を移し、そしてハハハハと低くよく響く笑い声が温室に広がった。

「お前は、何でもうまく持ち上げる。あいつが美男子か。美しい母に似たのだからそうなるかもな。正反対だな、態度も体格も大柄な私とは」

 ひとしきり笑った総帥の顔が、今度は懐かしそうに愛おしむ笑顔に彩られた。

 亡き妻とその妻によく似た息子を心から愛している彼は、この屋敷に戻ると必ず、どこよりも先にこの温室にやってくるのだ。

「蘭、増えたな……。あいつが好きだったこの小さなオンシジウム。私はそればかり妻にプレゼントしていたが、今はこんなに種類も増えて賑やかだ。奏太がいつも言っているよ。これは桐島にもらったんだって嬉しそうな顔をして」

「奏太さまが欲しいとおっしゃったので」と身を引く言葉を言えば、朗らかな声が己を柔らかく責めた。

「水を差すようなことを言うな。お前のおかげであいつに笑顔が戻ったのだ。この8年、本当に真摯に奏太に仕えてくれた」

「いえ、わたくしこそ、奏太さまに仕えることができて、この上なく幸せにございます」


「ふふ。あいつがお前を私よりも大切に思っている事くらい、私にもわかる。お前を執事に選んで本当によかった。4年前からは唐沢を私の元に呼び寄せたから、屋敷の一切をお前に一任させてもらっている。屋敷と手間のかかる奏太の面倒を両立させるお前の手腕には頭が下がるよ」

 総帥の言葉が、胸をえぐった。

 奏太に恋慕したことはもとより、奏太の性への好奇心を逆手にとって彼を抱いている。

 己は総帥の信頼を裏切る行為をしているのだ。

「いえ、わたくしはもう家庭教師も退きましたし、奏太さまも、もう私の手を必要とする事はほとんどありません」


 笑顔の総帥が見れずに頭を下げてそう伝えたとき、胸の痛みが桐島に救いの手をさしのべた。


 脳裏に、奏太への誕生日祝いが見えたのだ。


「総帥、奏太さまへの誕生日プレゼントは、もうお決めになられましたか?」


 痛みと喜びを隠して桐島は総帥に視線を戻し、礼儀正しく尋ねる。


「いや、あいつに聞いてからにしようと思ってな。お前は今年も蘭か?」

 その言葉に、いいえと頭を振った。


「総帥、お願いがあります。わたくしから奏太さまへのプレゼント、お手伝いしてくださいませんか?」

「お前が私を頼るなど、初めてじゃないか? 私が手伝えることなら、なんでも言え」

 男らしく微笑んだ奏太の父親に、桐島は静かに思いを伝える。


「わたくしの、奏太さま付きの任を解いてくださいませんか」

「っ桐島!?」

 精悍な顔が驚きに染まった総帥に、桐島は深くお辞儀をした。


 わたくしに出来ることは、これだけです

 奏太さま……

 いくら思い出を懐かしんでもそれは過去でしかない

 あなたの輝ける未来に、こんな歪んだ思い出をいつまでも刻み続けるなんて

 もう許されない


 もっと早く決断すればよかった

 プレゼントを決めましたよ


 奏太さま



 下げていた頭をあげた桐島は、晴れやかな笑顔を総帥に見せた。


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