寄り添い花シリーズ

□寄り添い花
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奏太『来ない唇』

☆☆☆☆☆


 始まりはいつもキス。

「桐島、キスして」

「かしこまりました」

 シルクのパジャマに身を包み、ベットに腰かけた奏太の唇に、腰を屈めた桐島はチュっと軽い音を立てると、すぐに離れた。

 だが奏太は執事に再び命令する。

「桐島、ちゃんとして」
「……奏太さま……」
「桐島っ!」

「……かしこまりました」

 銀縁眼鏡の真ん中、眉間にきつくシワを寄せた桐島は観念したように呟くと、再び奏太に近付いた。

 そして次に触れたのは唇だけではない。

 じっとりと濡れた口内が火照るほどの深い口づけと、華奢な体をギュウっと包み込む腕。

 自分も執事を抱き締めて、奏太はベッドへと倒れこんだ。

「桐島……しよ?……イヤだなんて言わせないよ?」

 反動で離れた口を少し歪めて奏太は言った。

「……奏太さま、あなたに触れることをお許しください」

「主人のボクが言ってるんだ。許すとかいらないから」

 ベッドに体を投げ出して目を閉じた奏太の首に、熱いモノが押し付けられた。ソコが開いて濡れた舌がザラりと触れる。

「……ぁあっ」

 歪んだ唇がうっとりと甘い音を発した。

 奏太は桐島の顔から眼鏡を奪い取って投げ捨てると、執事の髪の毛をグシャグシャとかき混ぜる。



 お前はボクに従えばいい

 キスするのもセックスするのも、ボクが言ったときだけ

 お前はボクのものなんだから


 閉じた瞳に思い出のキスが浮かんだ。


 その口付けは驚きと息苦しさと愛しさと切なさと……

 忘れられない口付け。

 もう二度と訪れない口付け。


 全ての始まりはそんなキスだった。



*****

 子供の頃、奏太は桐島とよくキスをした。

 喧嘩した後や怒られた後にする『仲直りキス』と奏太が命名したそれは、幼子が親に甘えてするキスとなんら変わらないものだった。

 桐島にとっては、いつまでも自分は子供で、ただ守るべき対象でしかないことは良く分かっている。

 だが、奏太にとっての桐島は、ただ守ってくれる相手では無かった。

 気づいたのは、今年の桐島の誕生日。

 1月17日。

 まだ新年の気分も覚めやらぬ時分の寒い朝、いつもよりも飛び切り早く目が覚めた奏太はベッドを抜け出し、窓のカーテンも扉も開けて外を眺めた。

 昨日からの雪で窓の外に見える中庭の木々達も、お屋敷の窓の枠も、屋根も何もかもが白く化粧をして、朝日に照らされキラキラと輝いている。

 昨夜、寝る前に、桐島が言っていたのだ。

『明日はきっと積もりますよ。せっかくですから雪で遊びましょうか?』と。

 奏太はウキウキ気分で、今日は桐島と雪合戦をしよう、雪だるまも、鎌倉もつくろう、などと思っていると、白い中に黒く動くものを発見した。

 それはいつもと同じ執事服に身を包んだ桐島で、奏太は『桐島おはよう』と声を掛けようと口を開いた。

 だが、それは白い息を吐き出すだけで終わった。

 奏太より先に『桐島様ッ』と声を掛けた人物がいたから。

 執事に走り寄ったのはメイドの一人。

 黒いスカートの裾をヒラヒラと揺らめかせて桐島に駆け寄った女は

『お誕生日おめでとうございます』

 桐島にリボンで飾られた小さな小箱を差し出した。

『……よく、ご存知ですね』

『あの、受け取ってもらえますか?……手作りのクッキーなんですけど』

『ありがとうございます。お気持ちだけ、頂戴いたします。申し訳ございません』

 桐島は深く頭を下げた。

『っ桐島様……だめなんですか』
『申し訳ございません、わたくしはあなたと仕事以上の関係になるつもりはございませんので』

『……っ桐島様っ』

 だが、頭を下げたままの桐島の首に、メイドはいきなり抱きついた。

 そしてそのまま無理矢理桐島の唇をふさぐ。


 その時奏太は、初めて見たのだった。

 桐島が自分以外の人間とキスをするところを。

 しかもそれは、自分としていたキスとは到底違うものだった。長い口付けで、口がなぜか動いていた。

 唇を触れ合わせているだけではないことは、わかった。


 ……唇を食べてるみたい


 胸の奥が、キシリと締め付けられたみたいに苦しくなって、息が出来なくなった。

 カタカタと震え始めた体は、全開の窓からやってくる冷気のせいだけではない。

 はじかれたように奏太は窓から離れるとベッドの羽毛布団に潜り込んだ。

 震える手で震える唇を押さえ、苦しさから逃れようとしたが、ギュウギュウと何かに圧迫された体は言うことを聞かない。


『桐島ッ桐島ッ桐島ッ……やだっヤだっ助けてッ』


 だが、すがる相手は今キスをしているところ。


 あんなキス、知らない
 桐島の誕生日だって、知らない

 ボクはっ、何も知らないんだ……っ


 使用人の誕生日など知る必要は無いし、使用人の恋愛事情に至っては興味を持つ価値など欠片も無いはずだ。

 だが、桐島は奏太にとって親も同然だった。

 父親は仕事でめったに帰ってこない、そして母親も既にいない奏太にとって、6歳の時にやって来た桐島は、たった一人の肉親であると言っても過言ではない。

 励まし、叱り、なだめ、慈しみ、桐島にもらったものは数知れない。

 喜びも苦しみも幸せも、共に分かち合ってきた人間が桐島だった。


 桐島はボクのだ
 ボクの執事なんだっ


 沸々と訳の分からない感情が沸き立ってくる。

『好きですよ、奏太さま』

『桐島は、奏太さまが大好きです』

 幼いころから、キスと同時に何度も聞かされた言葉が胸を焦がしていく。

 ボクだけに好きと言って
 ボクだけにキスして
 ボクだけに笑って

 ボクだけに
 ボクだけに

 ……桐島

 お前の全部

 『ボクだけ』なんだ……!!


 それは奏太の中に恋が芽生えた瞬間だった。


 だが急激に芽生えた恋心を執事に伝えることは出来なかった。


 奏太はいつもと変わらずに桐島に接した。

 桐島は、奏太の前ではいつでも奏太を優先しているように見えたし、あのメイドもいつの間にか屋敷からいなくなっていた。

 桐島の顔を見ていると、胸が苦しくなって、キスがしたくて仕方ないことがあったが、それを我慢すればいつものように振舞えたから。


 それから約7ヶ月後の夏のある日、大きなリビングソファに座ってくつろぐ奏太は、目の前ににある62インチのテレビで、見てしまった。
 テレビをつけた瞬間にたまたま写ってしまっただけの、桐島がチャンネルを変えるまでの、ほんの一瞬だったのだけど。

 それは男女が幸せそうにキスをする場面だった。
 
 ざわ、と胸の奥がくすぶった。

 
 桐島がメイドとキスをした。
 
 あの唇に……メイドは触れたんだ。


 ソファに座る奏太の隣に立ったまま「奏太さま、何をご覧になりたいですか?」と言いつつチャンネルを変える桐島の横顔の、その唇から目が離せない。
 
 あぁ……
 
 あんな風に、キスしてみたい


 桐島の唇を食べてみたい

 ボクの唇を食べてほしい



 そんなことを思ったからだろうか。

 その日、奏太は夢を見た。

 夢の中で、奏太は桐島とキスをしていた。

 二人の唇は何度も触れ合う。離れてはまた吸い付き、ちゅうちゅうと音を立てる。

 そして桐島の腕がしっかりと自分を包み込んでいた。

 離れた唇が、

『奏太さま、大好きです』

 と囁いて、また触れる。

 体がゾクゾクした。

 胸が苦しいけれど、それはあのメイドとのキスを見たときの苦しさとは違う。

 苦しいのに、嬉しくてたまらなくて、幸せで満たされて、もっともっとして欲しいと心から思った。

 奏太は自分から唇を押し付ける。

『好きっ、桐島が好きっ』

 もう恥ずかしくて言えないはずの、幼い頃に何度も伝えた言葉を、キスの合間に繰り返し囁く。

 触れ合う唇から、溶けてしまいそうな錯覚に陥った。



『奏太さま』
『奏太さま』

 少し低めの大好きな声で己を呼び続ける桐島の声が聞こえる。


『きり、しまぁぁ……!……っ』

 そして、ハッと目が覚めた。

 夢の中の自分の声で目覚めたのか、『奏太さま、朝ですよ』と体を揺さぶる執事の腕で目が覚めたのかは分からない。

 だが目の前に、ついさっきまで夢でキスをしていた桐島の顔があった。

 そして現実の桐島は、夢とは違い、『呆然』としている、と言う言葉が一番しっくりくるだろう顔をしていた。


『あ……おは、よ……っ』

 キスをしていた夢を見ていた事に恥ずかしくて、慌てて朝の挨拶をした奏太は、だが次の瞬間、ビクッと体を引きつらせた。

 ヌルンと湿った感触が信じられない所にあったからだ。


 それは、股間だった。

 なんでっ!

 視線をやると、パジャマの上からも明らかに分かる程に色が変わっている。

 14にもなってお漏らしなどありえないッ!

 かあああっと一気に熱が顔にやってきた。

 桐島が呆然としている理由はこれなんだと直ぐに思い立ち、より恥ずかしさが増してくる。

『ボクはッ!お漏らしなんてしてないッ!!』

 叫んでベッドの隅に追いやられていた布団を掴み、ソコに潜り込んだ。

 だが、直ぐに体は空気にさらされる。

 桐島が布団を無理やり、力いっぱい剥ぎ取ったのだ。両腕を執事につかまれ、仰向けにさせられ、ベットに抑えこまれる。

『きッ……っん!』

 驚きで声がほとんど出ないまま、奏太の唇は桐島のそれで動かなくなった。

『んっ……んんっふっ』


 そのキスは、さっきの夢みたいに、何度も何度も唇に触れていくキスだった。

 だが、夢とは全然違っていた。

 口の中に、舌がヌルリと入ってきて舐めしごかれる。歯を歯肉を、頬の裏を舐められ、唇を噛み締められた。

 溢れそうになる唾液をすすられ、舌を舌で撫でられて。


 唇だけじゃなくて、口の中まで……食べられてる


 体がカクカクと震えて、力が入らない。口から広がる感覚は、こそばいような、しびれるような、それは感初めてのもので、いや、桐島からのキスすらも初めてだった。

 「仲直りキス」は、いつも奏太からするものだったのだから。


 桐島がボクを食べてる
 桐島がボクにキスしてる

 夢の続きなのかと錯覚してしまいそうになりながら、喜びに満ちた気持ちで初めてのディープキスを体験した奏太だったが、離れた桐島の言葉に唖然とした。


『申し訳ございませんっ』

 長いキスから奏太の唇を解放した桐島は、何かに気付いたように勢いよく奏太から離れると直ぐに謝罪の言葉を発したのだ。

『とんでもないご無礼を致しましたっ』

 深々と頭を下げる桐島を見て、奏太はとても悲しくなった。


 なんで、謝るの?

 キスのときはいつも大好きって言ってくれてたのに

 なんで謝るの?


『桐……島……』

『本当に申し訳ございませんでした。直ぐに、お召し物の着替えを用意いたしますので』

 その一言で自分がお漏らしをしたことを思い出した。

『あっ……』

『奏太さま、それはお漏らしではございませんよ。奏太さまが立派に成長なさっている証です。恥ずかしがらなくても大丈夫ですから。わたくしも奏太さまの年頃のときは、何度もございました』

 詳しいことは朝食後にご説明いたしますと、桐島は告げて、くるりと背を向けると部屋を出て行った。


 桐島……
 謝らないで

 大好きって言って

 ボクにキスしてよ


 その背中に声無き思いを奏太は投げつけた。


*****


 あの口付けは、もう来ない。


 奏太は苦しくなった胸を押さえ込むように、己の乳首をまさぐる執事の頭をギュッと締め付けた。

 桐島と体も繋ぐようになったのに、求めるのはいつも自分からだった。命令をして、桐島はようやく奏太にキスをする。奏太の体に触れる。


 あのキスだけだ。桐島自ら奏太を求めたのは。

 そしてそのキスは理由すら分からないままだった。

 寝起きで、しかも夢精をお漏らしと勘違いして布団に包まってしまった我が儘な自分を冷静にさせるためにしたのだろうか……


 あのとき『大好きです』と言ってくれたら

 きっとこんなことには、ならなかったのに……



 戻ることの無い過去を思い、胸が更に軋んだ。


 桐島が、好き

 好きなんだ


 言えない言葉を喘ぎ声に混ぜて、奏太は桐島に今日も抱かれる。



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