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□第二章「甘く、降る雨。」
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 春の天気は気まぐれで、昨日は晴れていたのに今日はもう雨。朝からしとしと降り続く雨は、6時限目になってもまだやまない。入学してから2週間が過ぎて、教室の雰囲気にもだいぶ慣れた俺。友達も出来たし、勉強もつつがなく進む。
 そして席は出席番号順でたまたま一番後ろになり、教室の様子がよく見渡せるから結構お気に入り。ノートも取りやすいし言うことない。俺、視力だけはいいんだ。
 静かに降る春雨を教室の窓外に見つつ、今受けている授業は江嶋先生の数学。緑なのに黒い板と呼ばれるそこに白いチョークでカツカツと公式を書き連ねていくその後ろ姿。背が低いせいで(166センチらしい)上の方に字を書くときは背伸びしている彼がほほえましい。
 上がった腕にひきつられて、ジャケットの裾も上がり細い腰と小さく綺麗な形のお尻が見える。ズボン越しでも分かるほどに引き締まってる感じ。身体の均整が凄く取れていい形なのはダンス部副顧問だからかな、なんて思ってにやけたのを慌てて消してノートを取った。

「まず昨日の復習。因数分解できない問題は、解の公式を使えば答えがでる。コレだけ覚えときゃ、因数分解の公式を覚えなくても解けるけど、時間かかる。受験は時間との勝負だからどっちもちゃんと覚えろよ、中間テストに出すからな。じゃ、昨日の宿題わかんなかった奴いるか? ……大丈夫みたいだな。では次の不等式に進む。この不等式もさっきのに毛が生えた程度だから大したことない」

 相変わらず口の悪い江嶋先生の授業は最初の20分がすべてだ。残りの時間は全部問題を解くことだけに使われる。今日も変わらず20分で不等式の説明を終え、先生自作の練習プリントが配られた。俺たち生徒は黙々とそれを解いていく。
 先生は机の間をゆっくりと散歩するように歩き、ときたま止まっては生徒の間違いを指摘したり、アドバイスをしたりしている。

「篠原、ケアレスミス」

 5個目の問題を解いていたら、すっと目の前に綺麗過ぎる手が伸びて、人差し指で4問目の間違いをトントンと示された。そして彼はすぐに離れて俺の前方にいる生徒たちのプリントを次々と覗き見していく。
 彼の指先の触れたこの数字を消したくないだなんて思う俺の精神はどうかしていると思う。でもこんな些細なことでドキドキしてしまうんだ。男の人に、しかも30過ぎのオヤジだ、ちょっとあり得ない。クラスには可愛い女の子も沢山いるのに、どうして俺はあの人ばかり目で追ってしまうんだろうか。

「先生わかりません」

 前の方に座っているクラスメイトが手を挙げた。江嶋先生は流れる様になめらかに移動して、その生徒の所で丁寧に指導している。
 先生はダンス部と美術部の顧問とを掛け持ちしてるんだ。ダンス部は現在女子生徒しかいないらしくて男の江嶋先生は副、女の先生(確か3年のクラス担任)が顧問としてメインで動いてるからぜんぜんお呼びじゃないらしい。でも踊らしたら凄く上手いって聞いた。だから今年は美術部専門で活動してる先生なんだけど、絵もすっごく上手なんだって。俺は見たことないけんだけどね。美術2以上取ったことない俺からしたら、想像できないくらいうまいんだろうな。
 部活だけじゃなく美術の授業も担当してる江嶋先生。ホントは数学教師だけど、4月の年度明け早々に美術担当教師が入院しちゃったらしく、急遽江嶋先生に白羽の矢が立ったらしい。
 だから、ただ教室を歩いているだけなのに綺麗な動きに見えるのはきっとダンスやってるからで、そしてあの手にドキドキするのは絵を描いてるからで。俺の変な色眼鏡の所為じゃないんだ、絶対。
 ああ、俺も「わかりません」って言ったら教えてくれるんだろうな。でも、そんなことしたら俺、顔が赤くなっちゃいそうだし、綺麗な手から目が離せなくなりそうだし、せっかくの指導も上の空では先生に失礼だから。

 と妄想したところで、
「10分後に答え合わせするからそれまでに解いとけ」
と言う声が聞こえて、さっき指摘された間違いをようやく消した俺だった。

 重症だ……
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