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□第二章「甘く、降る雨。」
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 横暴だと思ったけど入学初日に先生と喧嘩するのも穏やかじゃないからおとなしく勤めている俺。おかげでちょくちょく先生と接点を持てるから嬉しいと言えば嬉しいのは確かな訳で、なんか悔しい。俺のこの感情を見透かされてるみたいで。

「悪いな、篠原、HRに配る書類が結構多くて」
「雑用は学級委員の仕事ですから何なりとどうぞ」

 先生の横で歩きつつ、視線を行く先へ巡らせると、渡り廊下のドアが珍しく閉まっていた。きっと雨避けのためだろう。両手が教材でふさがっている先生の為に俺はサッとドアを開ける。

「それも雑用か?」
「いいえ、気遣いです」

「上手いこと言うな」と笑った彼と俺は、薄雲から日の光がほんのり届いてる明るい春雨の中、湿気で少しヒヤとした空気の渡り廊下を歩き始める。
 廊下すぐ横の中庭から、濡れた土独特の匂いがして、雨だなぁ、なんて当たり前のことを思った。でも隣の江嶋先生からの甘い匂いの方がくすぐったい気がする。
 どんな香水使ってるんだろう……
 匂いに誘われて先生を見れば、彼は屋根があるというにもかかわらず、腕の中の教材を庇うようにしながら歩いていた。なんか、丸くなっててかわいい。

「そんな濡れませんよ、先生。風もないし」
と笑いながら俺が言うと、
「何言ってんだ『春雨じゃ、濡れてまいろう』だろ?」
て呟いた江嶋先生。

 それは『行友李風(ゆきともりふう)』 作の新国劇で、主人公の『月形』が舞妓の雛菊に差し出された傘を断る際に言った、有名な台詞だ。

「先生なに粋な台詞言ってんですか? 雨の時だって傘なんていらねぇよってこと? カッコつけてるんですか? 教材庇ってんのに?」
とニヤリ笑うと、先生は馬鹿にしたみたいな表情で、
「粋でもなんでもねぇよ。春雨は霧みたいなもんだから、そよ風でも雨が舞い上がって結局濡れる。傘差す意味ねえって事、俺が言ってんのはただの事実だよ」
コレまたさらりと言いました。彼はカッコつけというより現実主義のよう。『かっこつけてねぇ』って照れた顔が見れると思ったのに残念だ。

「先生、解釈が合理的すぎませんか?」と言ったら「数学教師らしいだろ?」と笑われた。でもその後に「篠原は、文系だもんな」と言った彼が少しだけ残念そうに見えたのは、気のせいだろうか。

「先生みたくスラスラ問題を解きたいんですけど」
「それはお前に数学的体力がないだけだよ。センター入試レベルの高校数学なんてただの体力勝負だ。数こなしたら解けるようになるから心配するな。でも文学の寂やら粋やらを理解する才能だけは数こなしても無理だと思う。お前が文系なのはそういう感性があるからだろ?」

 フォローもちゃんとしてくれる。ああ、やっぱり先生は教師で大人。舞妓の傘を断った『月形』より全然カッコいいよ。
 雨をかばう姿にかわいいなんて思ったけど、この人、やっぱマジでカッコいい。日本人形みたく綺麗な顔して教師らしからぬ口調だけど、カッコいいなんて、犯罪級じゃね?

 どうしよう
 俺、またドキドキしてきた
 いやいやっ、これは尊敬って気持ちのはずだっ!
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