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□第七章「震える、体。」
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 それからの俺は、ずいぶんと先生に熱心になった。昼休み、時間があれば先生のいる美術準備室へ向かう。なにする、ってわけじゃないけど、先生に会いたくて。先生が何をしてるのか知りたくて。もちろんあの人は絵を描いてるだけだってわかってるけどさ。

 今日もさっさと昼飯を終えて、時計を見ればまだ20分ほど時間があったから、俺は勝山にちょっと用事、と言って教室を出た。
 教室はエアコンが効いて暖かいんだけど、ドア開けたとたん、猛烈な冷気に体がびっくりしてブルって体が震えた。
「篠原〜ちゃんとドア締めろよ〜」
と後ろから勝山の声が聞こえる。そんなの言われなくてもわかってるから。
「お前こそ、思い切り閉めすぎてドア壊すんじゃねぇよ」
 と仕返しの一言を残して、俺はきっちりとドアを閉めて廊下を歩いた。
 1月も終わりかけのこの頃から2月4日の立春までの期間は大寒と呼ばれて、一年の中でも最も寒いといわれている時期だ。江戸時代に書かれた『暦便覧』では「冷ゆることの至りて甚だしきときなれば也」と説明されてるほどだから、昔もさぞ寒かったんだろうなぁ。今だって廊下の窓の外は粉雪が強い北風で煽られて舞い上がってる。
「はぁー、見てるだけで寒い〜」

 足早に向かった美術準備室は、俺が先生に振られた場所。わかってるけど、ドア開ける前にどうしても一瞬躊躇してしまう。二週間ほど前のこと思い出して、体が固くなっちゃうんだ。だから俺、一回深く深呼吸して、そして心の中で「よしっ」って気合い入れてからノックして、ドア開ける。
 開けた先は外と比べるとほんのり暖かい、教室よりは寒いけど。それは先生が4限目終わってすぐ美術準備室に来て、暖房をつけてるって言う証拠。その押しつけがましくない穏やかな温もりは、なんか先生の優しさみたいな気がするのは、俺の欲目だろうか。
 先生はそんな俺の気合いとか感想なんて知りもしないから「お? どうした篠原」って軽く声を掛けてくれる。そして俺が「用は、さし当たってないんですけど」と言えば、「そっか。まあ、適当に座ってくつろいでくれたらいいよ」って笑うんだ。
 その瞬間、振られた怯えを隠すべく入れた俺の気合いはいつもフワって立ち消えて、残るのはこの優しい温もりだけになるんだ。俺が来たことを別に気にしないで、理由を詮索することなく、俺を受け入れてくれる先生。
 この人のこう言うところ、凄いって思う。ふつう告白された相手にまた近寄られたら嫌がるよね?
 俺は進められるままドア近くにあるイスに腰を下ろした。それは先生の優しさに甘えてる行為だってわかってる。
 でも、めっちゃ助かってるってのが本音。俺の告白(振られたけど)の噂が広まってから、うちのクラスにたくさんの人がやってくるようになったんだ。
 先生の男前っぷりに彼の女子人気はうなぎ登りで、噂の教師を見ようと遠く離れたJ組の女子とか上級生までクラスに来てる。先生を見た後、ついでに振られた俺の顔も眺めて帰る、みたいな、へんなツアーが組まれてるらしい。
 この騒がれように最初は逆に心が少し軽くなったりもしたんだ。知らない女子に「篠原くん、元気だしてね」なんてすれ違いざまに声かけられたりもするし。
 でも、だんだん度を超してきた。俺が教室にいたら「篠原君、先生呼んでよ」って俺を先生と会うダシに使おうとしてる子がくるようになって。
 先生はイケメンだけど口調は乱暴だし、授業も超厳しいから生徒人気はこれまでそんな高くない人だった。でも今回のことで一気に人気爆発で。だから始めは嬉しかった励ましの声かけも、なんかつらくなってきたんだ。先生にものすごく被害があるから。先生が女子に囲まれて、すげえ困ってるとこ、何度も遭遇してさ。
『江嶋センセっ、篠原君にかけたジャケットって今日着てるやつなの?』
『私にもかけてっ』
『卒業式は先生のボタンほしいから、予約させてよ先生』
 アイドルの追っかけのように、際限なくはじけた女子のパワーはとてつもなくて、先生は本当に大変そうだった。
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