パレット

□第七章「震える、体。」
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 俺がここに来るのも、俺を使って先生の事追っかけて何とか取り入ろうとする女子生徒から逃げてるって言う理由も実はある。
「俺のせいで、すみませんでした」
 ぼそ、と俺が呟いた言葉に、先生はキャンバスに筆を進めながら笑った。
「お前が謝ることはねぇだろ。そのうちほとぼりも冷めるから」
 先生は、俺が謝った理由をすぐに理解して、そんな風に優しく声をかけてくれる。今週はほぼずっと俺昼休みここに来てるのにさ。

「それに、ここにいたら誰も入ってこないだろ?」
「それは、先生が」
「ま、そだけどな」
 そのとき、コンコンとノックがなった。
「はい」と先生の声が聞こえた後、すーっと扉が開いて、女子生徒が顔をのぞかす。さらさらのストレートが印象的な、結構可愛い子だった。
「あの、江嶋先生、お邪魔してもいいですか?」
 しかしそれに先生は「さし当たって急用じゃないなら帰ってくれないか」とさらりと言った。
「え、で、でもっ、篠原君はここにいるじゃないですかっ」
「篠原には絵のデッサンモデルになってもらってるから必要なんだ。悪いな、邪魔しないでほしい」
「す、すみませんでした」
 キツい口調で言われ、びくびくしながらドアを閉めた女子生徒がパタバタと廊下を足早に去っていく音が聞こえる。そうなんだ、誰も入ってこない理由は、こうやって先生はいつも女子生徒を追い払うから。教室から逃げても、女子の情報ネットワークってのはなかなかのもので、ここに俺と江嶋先生がいるって知ってる子もちらほらいる。さっきの女の子みたいに。
「先生、うまいこと言いますよね」
と俺は苦笑した。
「うそは言ってない、彼女がいたら邪魔だろ?」
「俺デッサンモデルになった覚えはないんですけど」
「じゃあ、今すぐボーズとれよ。出来れば逆立ちとかお願いしたいけどな、描いた事ねぇから」
「無理難題言わないでください」
 そして、ふふ、と笑った先生は、すぐに真剣な顔になってキャンバスに向かう。その顔は、ここに通うようになってから知った新たな彼の一面。絵を描いてるときの眼差しはとてもきれいで、誰も近づけないようなオーラがある。入り口のドアにほど近いイスに座る俺からは、描いてる絵は見えないけど、先生の右の横顔が見えるんだ。鼻筋通った綺麗な横顔に目が超真剣で、すげぇ男前。
 そして先生は俺の視線に気付きもせず、キャンバスとパレットの上を筆と一緒に視線が行き来してて、たまに焦点の合わない視線のまま止まってたり目をつぶってたりしてる。それはきっと自分の脳裏に描く図案と対話してるんだろう。

 そんな顔を見ていると、欲望ばっかで出くる。キャンバスに向かう真剣な顔も、授業中の厳しい顔も、さっき俺に笑いかけてくれた顔も、どれもすごいカッコ良くて、綺麗で、優しくて、そんでそんな先生全部、俺のものにしたいって。

(先生、俺のモノになってよ。大好きだから。俺のこと見て、そんで俺のこと好きになってよ。)

 欲望ばかりわき出てきて、それを何とかしようと、「江嶋先生」と、声に出さずに口だけ動かして彼を呼んだ。
 そしたら先生は俺の方見てくれたんだ。俺、ちょっとびっくりした。聞こえてないのにどうしてだろう。だけど先生は「ん? 篠原呼んだか?」と、ふわ、って笑ってくれた。
「いえ……お、俺、お邪魔じゃないですか?」
 呼んでないのに気付かれたってまるでテレパシーみたいと思ったら、なんかすげぇ恥ずかしくって慌てて取り繕った俺。したら先生は、「いいや全然。それよりお前こそ退屈じゃねえか?」って苦笑した。
 その笑顔が、なんかすごく優しくって。
「いえ、退屈じゃないです。ここ静かだし、先生もいるし、俺……幸せです。すみ、ません……」
 ぽろ、って思わず本音がこぼれてしまって、俺、そのままうつむいて、膝の上に置いてた自分の手を眺めてしまう。先生の顔、見られない……。
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