パレット

□第八章「握った、決意。」
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 それから俺はあっという間に寝てたらしく、ハッと気付いたのはもう5時をすぎていた。扉が開いた音で目が覚めたんだ。ベッドを仕切るカーテンの向こうから話し声が聞こえる。
『篠原の容態はどうですか? 彼の母親から電話がありました。あと30分ほどで迎えに来るそうです』
 それは江嶋先生の声だった。
『分かりました。彼はインフルエンザの可能性が高いです。早めに病院に連れて行くべきでしょうね』
『そうですか……篠原、しんどいでしょうね』
 江嶋先生の妙に憂う声に、ああ、あなたの顔がみたい、と思ってしまった。でもそれはかなわなくて。
『すみません、本当は俺がここにいるべきなのでしょうが、どうしてもはずせない会議がありまして、彼の母親が来たらよろしくお伝え下さい』
『はい、お任せください』
 ああ、先生、今日は美術準備室にも行けなかったのに……もうやだ、やだよ先生。このカーテン開けてよ。そんなこと思って、だけどハッと気付いたら目の前には見慣れた母親の顔。
『あ、起きた? とりあえず、がんばって歩こうか、車まで』
 結局俺は江嶋先生の声を聞いてる最中にまた、眠りこけてたみたいです。
 まあ、そういった経緯で今日も家で寝て、うなってるわけ。

 

 そうして、どれくらい寝てたのか、熱くて熱くて、汗かいて俺は目が覚めた。
 寝過ぎてぼーっとした頭で思ったこと。
 江嶋先生、今頃授業してるんだろうな。あの綺麗な手でチョーク握って、きれいな字で何の公式書いてんのかな。あの綺麗な手で絵筆握って、俺が張るの手伝ったキャンバスに何の絵描いてるんだろう。ああ、美術準備室、行きたい、先生の横顔みたい。
 眠りから目覚めた瞬間、頭にわいたのは江嶋先生のことで。俺、雪がひどいから学校行かなくて良かったとか思ってたくせに、やっぱり、行きたかったんじゃん。って我ながら笑えた。

 ああ、熱い。汗だく。てか熱下がったかな。
 布団からよいしょと起き上がり、俺は汗でぐっしょりな寝間着を脱いだ。そして、新しいのに着替えると脱いだやつ持って脱衣カゴまで運んだ。そんで喉乾いたな、スポーツドリンクでも飲むか、と冷蔵庫に寄った。冷蔵庫を開ければ、中にはプリンやらヨーグルトやらなんか喉ごしの良いものばかり置いてあった。
 そういえば、お腹すいたら食べなさい、って母さん言ってた気がするな。つーか、うん、腹減った。お腹すいたってことは俺、ちょっと元気になってことじゃね? と浮かれてヨーグルトを開けた。スプーンで冷えたヨーグルトをすくって口に運ぶ、超うまいっ。
 あっという間にヨーグルト平らげて、そんで500ミリのペットボトルに入ったスポーツドリンクを一気飲みした俺は、ほう、と一息をついた。

 そのとき、プルルルル、プルルルル、と電話が鳴った。母さんもいないし仕方ない、出るか、と受話器を取れば『○○高校1年A組の担任、江嶋と申しますが、史彰(ふみあき)くんの具合はいかがですか?』と名乗られた。
 俺、熱下がったはずだったのに一瞬で身体中3度は上昇した気がした。だってだって、先生の声が、俺の耳元で……っ!
 つーか、ふみあきくんって、ふみあきくんってっ! 先生俺のこといつも『篠原』って呼び捨てにしてるのにっ、マジですかっ。うわーーー、ど、ど、どうしよう。すっげえ恥ずかしいっ。
 ぎゅう、と受話器を握りしめて、俺は固まった。
『……もしもし?』
 ハッ、しまったっ、沈黙してしまったっ!
「あ、あの……俺です」
 おどおどしながら、名乗る俺。すると先生は、ほっとした声を出した。
『ああ、篠原。良かったお前か。どうだ、具合は。電話出られるってことは熱下がったのか?』
「あ、はい。今は下がってます」
『そうか。しんどくないか? よく休めよ』
 先生、やっぱり不器用。いたわりの言葉がめっちゃ少ないです。でも、これでも精一杯してくれてるんだと思う。だって時計見たら午後四時過ぎ、HR終わってすぐに俺に電話かけてくれたんだよ。もう、それだけで嬉しい。
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