Monsterシリーズ
□月を蝕む
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月を蝕む(理由編)【マキ】
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時刻は夜の9時半を過ぎていた。
「きれいだね」
そう言ったあなたは、オフホワイトのムートンカバーを付けたソファに寝転んだまま、窓の外を眺めている。空には満天の星。そして、輝く満月。
月明かりをやわらかく反射する金色の髪と、きらめく瞳……あなたのほうがきれいですよ、なんて言えやしないのだけど、「ええ、そうですね」と俺は答えた。
「何時から?」
「11時頃に完全に隠れますよ。そして、約1時間後に再び満ち始めます」
「へえー。楽しみだね。赤い月なんて見たことないや。あ、その前にお風呂入ってこなくっちゃ!」
ぱたぱたと慌てて風呂場へとかけていった結城さんは、ウキウキ上機嫌だ。今日は皆既月食が見られる日だった。しかも天気に恵まれて空には雲がほとんど無い。
皆既状態の月、いわゆる「レッドムーン」を眺められるチャンスはそうそう無いのだから、俺ももう少しワクワクすればいいのだろうが、目の前に可愛いワクワクマン(結城さん)がいると、案外気分は落ち着いてしまうもので、それよりも、赤い満月の下で結城さんを見たいなあ……と邪な感情がわいてくる。
レッドムーンを迎えるために、赤ワインとチーズを出した俺は、結城さんに引き続いて風呂に入り、準備を整えた。
もう時刻は11時。
ソファに座ったまま二人で空を眺めると、そこにはお目当ての赤い月が静かにたたずんでいた。
「わあ……、すっご……。赤いって言うか、オレンジって言うか……、しかも暗い、明るくない、でもめっちゃきれーーーっ」
静かな月とは対照的に凄い凄いと大喜びの結城さん。まるで、子供だ。
でも暗い部屋に、柔らかな質感の茶色いルームウェアに包まれた体が溶けていくようで。きらきらと輝く瞳と蜜色の髪の毛が彼の存在を示して、とても綺麗で妖艶だ。部屋の中にもう一つ夜空があるみたい。
視線を本物の夜空戻せば、橙色に近い満月のそばにオリオン座が見える。先ほどまでの、いつもの満月の傍では輝く月明かりのせいで、あまり見えないはずのオリオン大星雲がよく見えて、俺はそっちに気が行ってしまった。星雲の柔らかな質感は、まるで結城さんみたいだ。なんて、何でもかんでも結城さんに絡めてしまう自分の思考に笑える。
「マキ? 何笑ってるの?」
「え?……いえいえ、結城さん、楽しそうだなって」
「なんそれ、マキ、楽しくないの?」
「いいえ、楽しいですよ。じゃ、乾杯しましょうか?」
トクトクとグラスにワインを注ぎ、乾杯をした俺たちはチーズと共にワインをいただく。
「なんで、月食が起こんのかなぁ」
おいしくチーズを食べていたら、丸く歯形の形に欠けたクリーム色のプロセスチーズを眺めつつ結城さんが呟いた。
「それは、月と地球と太陽が一直線に並ぶからですよ。月は太陽の光を反射して輝いているんです。月、地球、太陽の順に一直線に並ぶと、太陽の光が地球にさえぎられて月に当たらなくなります。それで月食が起こるんですよ」
「じゃあ、光が当たってないのに、なんで今は赤く光ってるの?」
次はオレンジ色のチェダーチーズを口に入れながら。
「地球に当たった太陽の光を受けているからですよ」
「……地球の光受けるなら青く光るはずじゃないの? ……俺、おんなじカビ生えてるのならカマンベールの方が好きだなっ」
今度はブルーチーズを口にほおりこんでそんなことを聞く。なんで? なんで? と繰り返し聞く結城さんは本当に子供みたいだ。
「光の波長の違いです。赤い光と青い光だと赤い方が波長が長いんです。波長の短い青い光は空気中で拡散してしまいます。でも赤い」「あぁーーっ、ストップ。ごめんマキ。俺きっとソレ聞いても分かんない、バカだもん」
モゴモゴとチーズを噛みながら俺の月食講義を拒否した結城さんは、ゴクンと赤ワインを飲み干して言った。
「じゃぁ、お酒もう少し楽しみましょうか?」
だが、ワインボトルを手を伸ばしつつ笑った俺を見て、彼は少し寂しそうな顔をして呟いく。
「……マキって、変だね」
「何がですか?」
「俺より物知りで、賢くて、真面目で……」
そして黙った彼。
「……ねぇ、」
「なんでしょうか?」
「マキは、綺麗だと思う?」
月を見上げて結城さんは俺に問いかけた。
「はい、綺麗ですよ。赤い満月と大星雲のコラボなんて滅多に見れません、今夜は馬頭星雲を見るチャンスですね」
「もうっ、何言ってんのか分かんないよっ!」
そしてオレの返答に怒りだした彼はポスンとソファに突っ伏してしまった。
「結城さん?」
俺こそ何故結城さんが怒っているのか訳が分からなくて困惑してきた。
「……マキの……バカッ」
「……」
バカと言われても何の事かさっぱり分からない。俺は結城さんの質問に答えただけなのに。
「マキのっバカバカバカっ」
……やっぱり分からない。
仕方がないので俺は謝ることにした。
「結城さん、すみませんでした。俺がバカで……あなたを苦しめているんですよね……」
「オレがバカだからマキがバカになっちゃうのっ!!」
また訳の分からないことを言った結城さんは、ふぇ……っと半泣きになってしまった。
「あ……あのっ結城さんっ」
「もういいっ!」
顔を上げたものの、ソファの背もたれの上にあごを乗せて窓の外をもう一度眺めた彼は、腕をこちらに伸ばし、グラスを差し出した。注げ、と言うことだろう。
「……」
何に怒ってるのかわからないまま、勝手にもういいと言われては、どうしようもない。
俺はスッとそのグラスを手から奪い、テーブルの上に戻すと、彼を後ろから思い切り抱きしめた。
「離れてよッ! 月見てんだからっ」
「いやです。好きな人にくっついて何が悪いんですか?」
「賢いマキなんて嫌い!! 離れてよっ」
「嫌い、なんですか……。分かりました。結城さんはさっき俺が馬鹿だとおっしゃって怒っていましたが、馬鹿な俺よりも賢い俺のほうが嫌いなんですね。と言うことは、馬鹿なままでいいと言うことですよね、じゃあ、今後は馬鹿と呼ばれるようにがんばります」
「っ……もぉ!! ヤだっ……そんな事言ってな……ひっ……っ」
ああ……、泣かせてしまった。
俺の腕の中でポロポロと涙をこぼし、そしてその涙が冬仕様のムートンに落ちて吸い込まれていく。
「結城さん、教えてください。あなたに嫌われるのはイヤなんです。好きだから……」
ひっくひっくと泣いている彼は、ぶんぶんと今度は頭を振って、違う違うと繰り返した。
「ちがうっ、バカなの、っ、、おれがっ……マキじゃ、っな、、」
理由もなく泣いているわけは無い。
俺は彼のふわふわの金髪に顔をうずめて囁いた。
「俺は、バカなんです。あなたが泣いてる訳が分からないくらい、バカなんです。だから、教えてくれませんか? 結城さん」
「マキとっ、マキとっ……ふっ……見たいのっ」
泣きながら、たどたどしく理由を言う結城さん。
もう……どれだけ、可愛いんだか。
結局20分くらいかけて、なんとか教えてくれた結城さんの答えは、こうだった。
「つまり……結城さんは、俺と月食が見たかったと。見て、一緒に喜びたかったと。だけど、俺があまり楽しそうじゃないと思って、寂しかった。そして、うんちくを語り始めた俺に怒ったのは、綺麗という喜びではなく、科学理論的なものの方に興味があるんだと思って悲しかったと言うわけですね」
「だって……だって、俺バカだからそんなのわかんないし、ただ綺麗だなって、一緒に見たかったのに、マキ、マキが……」
この人は
どこまで、純粋なんだろう……
彼をぎゅうっと抱きしめて、俺はブツブツ呟いている唇を塞いだ。
「ん……っ…ぁ……」
「結城さん。理論は、美しさの説明でしかないんです。一番大切なのは、月を見て綺麗だなって思う、その気持ち、感動なんです。俺は、あなたと一緒に月を見れて、ほんとに嬉しいんです。それだけは、分かってください」
うんちくを語ってごめんなさいと俺は謝った。月食の起こる理由を聞いてきたのは彼だったけど、本当は。
『綺麗だね』
たった一言。
それだけでよかったんだ
物事には、すべて理由があり、結果がある。
だけど、理由が分からなくても、その結果だけで感動することが出来るんだから。
「結城さん、月、一緒に見ましょ。あと30分くらい赤い月が見られますよ」
「うん」
テーブルの上にある空になってしまったワイングラスに、俺はもう一度ワインを満たして彼に渡した。
そして赤く彩られた月を眺めて俺たちは乾杯する。
おいしそうにワインを飲む彼が、俺にとっては何よりも綺麗で、月なんかよりずっとずっと感動的だ。
理由なんて、分からなくても、感動して、泣いて、怒って、そして、俺の傍で笑ってくれる
俺が、あなたを好きなことに理由があるのかもしれないけど
もう知りたくも無い
欲しいのは
理由じゃなくて
この感動の連続
あなたが傍にいると言う結果の連続なんだ
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