短編集

□夏のカケラ(6p)
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あてんしょん!

この話は、死ネタとなっています。
ど田舎海辺にすむたっくんと、都会の少年けいちゃんのお話。
たっくんが海にさらわれて死んでしまいます。

震災の津波等フラッシュバックがある方は閲覧をお控えください。
頭蓋骨等、骨の描写がありますので、苦手な方は閲覧を控えてください。




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『夏のカケラ』

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「けいちゃん、また来年も来いよ」

 築50年以上経つ家の、コンクリートで固められた古めかしい土間の玄関。スニーカーに片足をつっこんだ俺の肩に、そんな声と共に日に焼けて茶色い拓海くん(俺はたっくんって呼んでる)の手がポンと置かれた。

「ヤダよ。たった2週間で俺どんだけ蚊に刺されたと思ってんの?大体穴あいてる蚊帳なんて蚊帳じゃねぇよ」
 たっくんちは何もかもが古くて、都会育ちの俺、圭汰(たっくんはけいちゃんって呼んでる)にとってはホントに色んな忍耐がいるうちだ。

「ぷはっ、次来るまでには修理しといてやるから」
 隣でヘタレたビーチサンダルをつっかけつつ、呆れ声な俺の台詞に吹き出したたっくんは、靴ひもを結ぶためにしゃがんでる俺の黒い髪の毛をグシャグシャとかき回した。

「なに笑ってんの?客が来る前に修理しとくのが普通だろ?てか、もお諦めたけどね、毎年修理しろって言ってんのに、いつまで経ってもする気配無いし」
「そんなのけいちゃんが蚊に好かれるからいけねぇんだよ。ほら、俺ずっとけいちゃんのとなりで寝てたのになんも刺されてねぇもん。おまえ、色白だから蚊にやられんだよっ。勉強ばっかしてっからだ」

 カチンと来た俺は、まだ右足しか結べていない靴ひもを放置して、頭の上の黒い手を払いのけ立ち上がる。171センチの俺よりも5センチくらい低いたっくんをぎろりと見下ろして、
「たっくん……刺されてるよ、ここ」
と、くふくふ笑う色黒な彼の肩を、これ見よがしに指差した。
 茶髪に焦げた肌。顔は童顔で少し垂れ目のかわいいたっくん。だけど、かわいい顔に似合わず言葉使いがちょっと悪いトコロが彼のおもしろいところ。声は鼻に抜ける音が少し混じる可愛い音色なのにね。

「え?うそっ?……あ?、ねぇじゃん、ばかやっわぁっ」
 甘い声で乱暴な言葉を呟こうとした彼をグイと抱き締めた俺は、さっき指差した場所、ランニングからはみ出る蚊の刺された跡なんてない黒くつやつやした肩に噛みついた。

「ってぇっ!こらっ、圭汰!」
「ほら、刺されたでしょ?」
「蚊よりタチわりぃよあんた」
「……ホントはもっといっぱい噛みつきたいんだけど」

 夏休みの2週間、海辺にあるたっくんの家で勉強も忘れて散々遊んだにも関わらず、まだまだ色白な俺の腕。黒い彼とは対照的だけど、俺の方が体も大きいし、きっと、彼のこと大好きな気持ちも俺の方が大きいはず。
 実は俺とたっくんは、こっそり恋人同士なんだ。
 たっくんは茶色い短髪を揺らして、ちょっとだけ赤くなった顔と潤んだ甘い垂れ目を、むき出しのコンクリートに向けて小さく答えた。

「……また、来りゃ、いいじゃん」


「たっくん、次はたっくんがおいでよ。海はないけど、プールならあるし。俺大学受かる予定だから夏はいっぱい遊べるよ?2ヶ月もあるんだ。夏休み」
「釣りできる?」
「釣りゲー出来るよ。セガサターンで」
「っしょうもねぇ町だな、行かねぇよ、んなとこ」

「俺、待ってるから」

「……ちゃんと、案内しろよ」
「うん」

 彼の頬に手を添えて、小さな唇に落とした口付け。


「圭汰、バス行っちまうよ、1日1本しかねぇんだから逃すと帰んの明日になるよ」

 と言うたっくんのばあちゃんの声が扉の外から聞こえてきたのをちょっとだけ無視して、あわてて左足の靴ひもを結びなおし、立ち上がってもう一度彼を抱きしめて、キス。
 寂しそうに潤ませた瞳のたっくんに、俺は笑ってバイバイと言い、高校最後の夏休みの貴重な2週間を過ごした海辺の古家を後にした。


*****

「圭汰、久々だな、ここ来たの」

 ド田舎の携帯の電波すら届かない海ばかり続く窓の外を見ていたら、ありふれた国産の中古銀色セダンを運転中の父が声を掛けてきた。
 車載ラジオは最近流行りのK-POPやどれも似たようなアイドルグループの曲を垂れ流していて、今年還暦の父にとっては興味の対象ですらないのだろう。うっとおしいとばかりに彼はボリュームを極限まで下げた。

「俺は毎年来てるよ。父さんは10年振りくらいだろうけど」
 後部座席からルームミラー越しにシワが深くなってきた父の顔をチラと見て、俺はすぐ外へ視線を戻す。
 夏真っ盛りの昼、景色を彩る海と空の青と雲の白、そして山の木々と田んぼの緑しかない田舎の風景は、眩しすぎてチリチリと目の奥が痛んだ。

「ほんと10年ぶり、たしか最後はお前が高3の時だ。しかし相変わらず田舎だなぁ」
 父にそう呟かれて、まだ18だった頃の記憶が蘇り、俺はそのくだらなくて古い記憶に少し笑った。
「あぁ、ココはほんとなんもないけど来たら学校の宿題なんてやる時間なかったなぁ。おかげでいつも8月末は大変だったよ」
「ここで学ぶのは人生勉強さ。働かなきゃ食わせてくれないばあさんだし」
「ほんと人使い荒いよ、たっくんのばあちゃん。荷物置く間も挨拶も無いままで、『おい圭汰、魚釣ってこい』って言われんだぜ?」

「アハハ、ばあさんは昔からだよ。父さんも昔は釣りに畑仕事に駆り出されたもんさ。台風で飛ばされた屋根の修理をやらされたこともあったよ」
「あ、それってもしかして裏の物干しの上じゃね?アソコ雨漏りしてんだよな。父さんが修理したのかぁ」
「こら、何勝手に納得してんだ。父さんがまるで不器用みたいじゃないか」
「ちがうの?」

「いや、確かにあの屋根であってるけど」
「ほーら、やっぱりな。だからばあちゃん言ってたんだー。『圭汰は不器用だからやんのは釣りと野菜の世話だ』って。父さんの息子だから不器用と思われてたんだよ俺」
「拓海くんとは大違いってか」

 思い出は甘くて優しくて、俺も父も自然に笑顔になった。

「ははははっ、たっくん器用だからなぁ。あ、父さん。そろそろ車止めてよ」
 
 そして車外の景色がその思い出とほぼ一致した頃、俺は父に合図をする。

「あぁ、見納めだなココも」
「さよなら言ってこなくちゃ。そのために来たんだから」

 父が車を止めたのは、白い砂浜の前。そこには古ぼけた家がひとつだけポツンと建っているのが見える。
 俺は、大学一年からここに来るときにいつも持ってきている黒いリュックを肩に掛けて、車を降りると、キュッキュッと音の鳴る砂浜をそっと歩いて俺はその家を目指した。

 あの家は思い出の場所。俺とたっくんの思い出の場所。
 初めて会ったのは9歳の夏休み。
 父親の幼なじみの息子だったたっくん......彼は、俺のひとつ年上で、都会育ちの俺に釣りや素潜りや、野菜の手入れ、色んな事を教えてくれた。
 口うるさくて体力旺盛なばあちゃんと、笑うと垂れ目がさらに垂れてとっても可愛い小柄なたっくん。日に焼けて真っ黒な肌に、紫外線に負けて茶色くなった短い髪の彼と、色白で黒髪の俺は夏休みのうちの二週間、毎年一緒に過ごした。

 そして、12の時、彼に恋をした。13の夏に初めてキスをして。14歳、中3の夏、彼と体を深く触れ合わせた。
 それからは、夏に会う度に溺れるように彼と抱き合った。海の中でも月夜の砂浜の上でも。
 

……彼が大好きだった。



 人に使われていない家は直ぐに傷んでくる。
 
 ギシギシと軋む音をあげて古い家の引き戸を開けた俺は
「ただ今、たっくん。一年ぶりだね」
と誰もいない家に話しかけた。

 ひび割れたコンクリートの土間。板の間が所々割れて床下に落ちた部屋。剥き出しの梁にぶら下がったままの破れた蚊帳。

「去年と変わらず蚊帳、破れてるよたっくん。俺のために修理してくれるって言ってたのにさ。おかげで毎年蚊に刺されて大変だよ俺」

 抜け落ちた床から落ちないように気を付けながら靴のままで部屋を渡り、閉じられた雨戸を開けて家の中に風を入れた俺は、
「閉めっぱなしは良くないよ、たっくん。海の風、好きだったよね」
と言って縁側に座った。

「ここでよくスイカ食べたよね、ちょっと塩味のスイカ、花火もしたし。去年は何したかな?」

 唇が、震えた。

「たっくん……、俺、砂浜見て来るっ!」

 震えを誤魔化すように駆け出した俺は砂浜に父の姿を発見した。海を、ただ立って眺める父。その横顔は懐かしさに溢れている。

「もったいないよな、こんなきれいなのに埋め立てるなんて」

 と、寂しそうに呟いた父の声が聞こえた。


「あぁ、ほんとに」

 相づちを打った俺に、父は振り向き言った。

「お別れ、言ってきたか?」
「うん、父さんは?」
「俺はもう18年前にお別れは済んでるよ」

「そっか、たっくんの父ちゃん病気で死んでそんな経つんだ。確か初めてたっくんにあったのが、たっくんのお父さんのお葬式の時だったんだよ。父さんにとっては友との別れだったけど、俺にとってはたっくんとの出会いの時だったんだ」

 懐かしいな、と小さく言った父は、もっと寂しげな顔になった。

「……たっくんとばあさんがいなくなって10年だな。お前はまだ吹っ切れてなかったんだろ?遺体も見つかってないから仕方ないけど。……毎年夏にココ来てたもんな。一人でバス乗り継いでさ」
「バスはこの春に廃線になったんだ。もう誰も乗らないからね」

 目の前に広がる海、このどこかに、たっくんとばあちゃんはいる。
 俺にわかるのはそれだけ。
 でも、だからこそ俺は毎年夏に必ずここに来たんだ。

「高波に二人でさらわれるなんて何やってたんだかなぁ?ばあさんも」
「……でけぇ鯛でも釣れて大騒ぎしてたんじゃねぇの?たっくん釣り大好きだったし」
「今頃海の中で魚と戯れてるのかもな」

 穏やかな海が奏でる波の音はとても心地いい。まるでたっくんの甘い声みたいだ。


《……けいちゃん……》

 そう思ったら、波の中に彼の声を聞いた。


「たっくん?」

 俺は辺りをキョロキョロと見渡す。

《けいちゃん……けいちゃん》

 聞こえる、彼の声。

「圭汰?どうした?」

 いきなり何かを探し始めた俺に父が不思議そうに視線を送る。

「あ、父さん。俺少し砂浜散策するわ」

 そっと父のそばから離れた俺は、聞こえた声をたどって砂の上をキュッキュッと歩く。

《こっち……こっちだよ》

「うん、待ってて。たっくん、すぐ見つけるから」




 高3の夏の終わり、たっくんはばあちゃんと二人で海に消えた。消防署の人たちや村の人たちがいくら探しても二人とも見つからなかった。
 そして翌年大学生になった俺は長い夏休みを利用して、一人で誰もいないここに来たんだ。

 そのとき初めてたっくんの声を聞いた。今みたいに頭の中に響く柔らかい声。
 それはきっと、俺にしか聞こえない声だった。
 耳をふさいでも、たっくんの声が、鼻にかかる甘い声が聞こえたんだから。

 そして彼の声に誘われて砂浜を歩いたら、見つけたんだ。

 白い小さなカケラを。
 そしたらたっくんは

《久しぶり、けいちゃん》

って言ってくれて。

 その時は、ほんとに長い間涙が止まらなかった。

 彼は死んだのだと否応なく突きつけられた証拠だったから。


 それはたっくんの骨なんだと確信した俺は、夏になると毎年ココに来てたっくんの声を頼りに白いカケラを探すことに決めたんだ。
 そしてそれから少しずつ集まった大小様々なそのカケラは、この10年の間に黒いリュックの半分くらいになった。
 でもそれも終わり。

「たっくん、埋め立てて工場建てちゃうんだって、この砂浜。もう、探せなくなっちゃうね」

 俺の声に彼は笑った。

《んはは。今日で最後かぁ。見つけてくれる?》

「もちろん。どこ?」

《もうすぐだよ》

 その時、見渡した白い砂浜の先にある波打ち際がキラリと光った。

「あれ?」

《そう》

 光を目指して駆け出した俺は、砂に足をとられて何度もコケそうになりながらソコにたどり着いた。

 パシャンパシャンと波に濡れ、半分以上砂に埋まった白いそれを俺は慌てて掘り返す。

 その場にしゃがみこみ、ジーパンが海水でびしょびしょになるのも構わずに取り上げたそれは、きれいなきれいな頭蓋骨。

《10年ぶり。顔会わすの》

「たっくんったっくんっ……うっ……ぁあっ」

 もう、ボロボロと涙が溢れて溢れて。

《約束だよ。けいちゃんの町、案内しろよ》

「ひっ……た……っく……うん、ずっと、……一緒にっ……ぅっ……いようね…っ」

 割れないように俺はそっとそれを胸に抱き締めた。じわりとTシャツが頭蓋骨についた海水を吸い込み濡れていく。
 それはまるで彼の涙みたいに思えて。

「ばかっ……ばかっ……っこんなになって……、もうエッチも出来ねぇじゃんっ……たっくんのばかっ」

《なんだよそれ、せっかく会えたのにもっと気の聞いたこと言えねぇのかよ》


「大好きだよ……たっくん」

《俺もだよ》

 海水に濡れたジーパンと冷たい白い骨に、体温が奪われて身体が震えた。
 だけど頬を流れる涙は熱くて、ふいに嗚咽に震える唇も熱くなった気がした。
 彼とキスをしているかのように。


「ありがとう、けいちゃん」


 耳元で彼の声がした。




「俺の家、……一緒に行こうか?」

 だけどもう、返事はなくて




「圭汰ー!帰るぞーー!」

 そのかわり遠くから父の声が聞こえた。

「たっくん、行こう」

 タオルでそっと骨を拭いてリュックの中に仕舞った俺は、それを肩に掛けて父の元へと歩く。

 彼の声はきっともう二度と聞けないだろう。
 この砂浜以外でたっくんの声を聞いたことがないから。

 ここは
 たっくんと俺の大好きな海。
 二人の思い出がいっぱいの海。

 俺とたっくんを繋ぐ海なんだ。


 さよなら

 たっくんと過ごした8年
 たっくんを探し続けた10年

 この海に思い出を置いていくから


 その代わり、彼の骨は貰ってくね

 今度は海じゃなくて、俺の町でたっくんと思い出を作るから


「これからも、ずっと一緒だよ。たっくん」


 俺の肩にある黒いリュックの中で、カランと軽やかな音がした。




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