長編
□た
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あいしていたよ、誰よりも
第四章 (君の命を鍵にして)
いつも通りの朝。
職員会議に遅刻して怒られて、朝のホームルームに向かっている。
…そのはず、なのに。
「…何だよこの感じ」
なにか、大切なことが抜けている気がする。
記憶、それよりもっと深い場所にある『何か』を忘れているような―――
「先生」
不意に後ろから、声を掛けられた。
反射的に振り向いたその先に、居たのは。
「……土方?」
名前が出てくるまでに時間が掛かったのは、ここに彼がいることがあまりに『不釣合い』だったから。
…否、彼がいることがおかしい筈は無い。
昨日だって、土方は学校に来て近藤達と話していた。そろそろ文化祭だから風紀委員の仕事が忙しくなる、なんてぼやいてもいた。
そう、何一つだって、変わっていないのだ。
だとしたら、この胸の内で渦巻く違和感は何だというのだろうか。
そんな銀八の混乱もよそに、土方はいつものような飄々とした笑みで話を続ける。
「相変わらずアンタ遅ェな。先公の癖に遅刻かよ」
「…るっせぇよ。つーかこの時間じゃおめェも遅刻だろうが」
「俺は電車の遅延だから」
アンタと一緒にすんな、と言って土方は軽く舌を出した。
こんな会話の中で、こんな当たり前の日常の中で―――やはり感じるのは、違和感。
そういえば昨日まで、土方はこんなに容易く自分に話しかけてくることがあっただろうか。
土方は自分のことを嫌っていたようだったし、銀八だって積極的に生徒と関わろうとはしなかった。
だから、こんな風に話せるはずが無いのに。
彼の自分も、ずっとこんな関係だったようにここに在るのだ。
「…んだよ」
「え?」
「人の顔じろじろ見やがって」
不審そうに眉を寄せて、土方が尋ねる。
銀八としてはそんなに見ている気は無かったのだけれど、確かに土方といる間に考え事をしていたのだから見ていたのは彼という事になるだろう。
けれど、本当に『お前がここに居るのが不思議だ』なんて言おうものなら、銀八は頭がおかしい奴という称号を得ることになってしまう。そんな物は激しく要らない。
どう答えようかと銀八が唸っている間に、土方は存外あっさりと「まぁいいや」と呟いた。
そうして、銀八を置いて歩き出す。
数瞬の後、ようやく我に返った銀八も慌てて歩き出した。
会話の無い廊下。
土方は特に気にしていないようだったけれど、それがどうにも居たたまれなくて銀八は口を開いた。
「…お前さ」
「ん?」
「彼女とかいんの」
当たり障りの無い会話。
何の噂もない生徒だったし、帰りだって近藤と沖田と三人で帰っていたから、居ねェよ、という返事が返ってくるものだとばかり思っていたのだけれど。
「…っ」
それを聞いた瞬間、土方の表情に浮かんだのは驚愕か、或いは絶望だったのか。
予想もしていなかった反応に、銀八のほうが思わず息を呑んだ。
ねぇ、どうして君は、そんな顔をするの。
「……居ねェ、よ」
ようやく口を開いた土方の表情は、前髪に隠れてよく分からなかった。
「…そう」
勿体無いね、だとか、折角モテそうな顔してるのに、だとか。
用意していた言葉は、外に出ることも無く消えた。
「…なぁ」
教室の扉に手をかける寸前、土方は足を止めた。
言葉もなく歩いたのは、きっとほんの十数秒だったろう。
ゆっくりと振り向いた土方は、哀しそうに微笑っていた。
「今日、アンタの家行ってもいいか」