隠文

□セピア色が滲む
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『ごめんね』


そう彼女は言った。

泣きながら。

笑いながら。

彼女は行った。






彼女はいつも泣いていた。

美しい顔を赤く腫らして、ぽろぽろと透明な涙を零していた。
いつだって幼い土方を護る為、男に立ちはだかっては見ている方が辛くなるほどに殴られて。


『大丈夫?怪我は無い?』


怯えて声も出せない土方が小さく頷けば、彼女は優しく笑った。
良かった、と。
それだけが自分の幸せであるというように。
それだけが救いであるというように。

それは同時に、土方の救いだった。
出口の見えない闇の中、彼女の笑顔だけが世界を照らす光だったのだ。


『いつか、元のお父さんに戻ってくれる』


それが彼女の口癖で、精一杯の願いだった。

いつか、いつか、いつか。

彼女はひたすらに、未来を描く。
来るかも分からない未来を。
世界を照らす光を。

土方の前での彼女はいつでも笑っていたけれど、いつでも涙を零していた。


『きっと大丈夫』

『今は、苦しんでいるだけなの』

『いつか笑ってくれるわ』


―――…だって、愛しているから。


彼女は幾度もそう言った。
いつか、自分の愛した彼に戻ってくれると。
きっとそれだけを信じていたのだ。






けれど、彼女は救いを見つけてしまった。



『ねぇ十四郎、私ね、好きな人が出来たの』



そう言った彼女は、笑っていた。
今までに見たことがないほど切なげな、綺麗な笑顔で。

『だから、ごめんね』

そう言った彼女は、泣いていた。
自分の不甲斐なさを呪うように。
救いを与えられない事を詫びるように。

『彼が、子供は、十四郎は無理だよ…って。二人だけでやり直そうって、だから、』
『いいよ』

震える彼女の声を止める。
だって、彼女は幸せそうだから。



ねぇ、どうか幸せになって。
大好きだよ。
絶対に恨んだりしない。
だから誰より、幸せになって。



『―――ばいばい』



世界で一番、大好きだよ。


だんだんと遠くなる、小さな背中。

追いかけたくなる衝動を、土方は押し殺す。
そうしてはいけないのだと、幼心にも分かっていた。

だって彼女は、笑っていたのだ。
きっとこれからは、笑って生きていける。


だから、土方は笑った。
ぽろぽろと溢れてくる涙も拭わずに、みるみる遠くなる背中を眺めて。


大好きだよと、呟いた。





セピア色が滲む
(今はもう、夢の中でしか逢えないけれど)







***
『そして君の隣で』の0話にしようかと思っていたシロモノ。
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