文其二-二。

□思考回路、急過熱
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※オフ本に掲載した編集×作家話の続編です。
 読まれていないという方はこちらのsample(二番目の作品)であらすじを理解して頂いてから読まれると分かりやすいかと思われます。





ここには一人の魔女が住んでいる。
かつての自分はそう表現した。
それは今でも変わるような変わらないような、そんな曖昧な状況で。
魔女でもあり、姫でもあり、女性でもあるその人は。
今日も今日とてこちらの心を存分にかき乱してくれるのだ。



「あがった」
「はい、ってあー…また髪の毛も乾かしてないですね、はい。分かっていましたとも」

脱衣所の扉の開く音がして振り返れば、そこには髪の毛から水滴をぽたぽた垂らしているレッド先生がいた。
季節が季節なのと何度も何度もしつこく言い続けたのが功を奏したのか、格好はあの何かと無防備だった以前と比べると改善されている。
(とは言っても大半の理由は寒いからなのだろう。基本的にこちらの忠告など聞き入れやしない人だ)
室内を出来る限り暖めてはいるけれど、それでも空気に触れて髪の毛は冷たくなっていく。
精神衛生上は改善されたが、結局こちらが心配するはめになるのだから似たようなものかもしれない。
風邪を引いたらどうするんですかと呟きながらその人のもとまで近寄って、肩に掛けられた全く役割を果たしていないハンドタオルを取って。
わしゃわしゃと少し乱暴に、だが水分を吸い取るよう丁寧に髪の毛を拭いてやる。
先生はというと立った状態でその手つきにされるがままに頭を揺らしながら、その行為が終わるのを待っている様子。
意外と近いその距離を意識しないよう作業に没頭すると、何となく乾いてきたので。

「はい、とりあえずこれでいいです。後は自分で拭いて下さいね」

まるで子供の世話をしているような言動だが勿論相手は大の大人。
グリーンの心を乱すことに長けた不思議な魅力を持つ女性。
或いは魔女と言う。
或いは姫とも言える。


つまるところグリーンは目の前のレッド先生に、恋をしていた。


出会ってからのこの二年と数ヶ月、あえて誤魔化し続けてきた恋心。
それはとある出来事をきっかけに開花してしまって、その勢いは留まるところを知らなくて。
認めざるを得なくなってしまった感情は今でもこうしてグリーンの胸を焦がし続ける。
そしてその「きっかけ」は、尚もグリーンを大いに悩ます種のままで。

「じゃあ、もうすぐご飯出来ますんで…っ」

ふとした瞬間に蘇ってしまった淡い想いを誤魔化すように。
目の前の魅惑的な肌を見ないよう心を殺し目を逸らしながらそう告げた。
…ああ。
だというのに。
それだというのに。

不意に先生の顔が近付いて来て。
気が付けば視界いっぱいにその肌色と黒が広がっていて。
あ、と。
しまったと思う頃には。

ちゅう。

そんな音が聞こえて来るような気がした。

「……」

視界が、というか世界が。
お花畑になってしまったような錯覚。
グリーンの唇にもにゅりと触れてきたものは、間違いなくレッド先生の柔らかいそれ。
気が遠くなった。

「ありがとう」

そのまま何事もなかったかのように離れていく先生。
我に返った頃にはもうあの感触はなく。
意識は現実に戻って来ていても、体は未だに硬直しているわ、顔は遠い目で薄笑いを浮かべたままだわで。
奇妙な表情のままのグリーンを置いておいて、レッド先生はすたすたと横を通り過ぎてダイニングのいつもの椅子に腰掛ける。

「……ご飯は?」

そしてまたいつもの日常を取り戻す。
グリーンははい、と答えてゆっくりキッチンに戻ることしか出来なかった。



全てのきっかけとなった、とある出来事。
無意識に抑えつけていた感情が溢れ出して、堪え切れなくて。
グリーンは衝動のままに先生に、キスをした。
その時は思いも寄らない自分の行動に逃げ出してしまった。
拒絶を怯えながら次の締め切り前に顔を出せば、グリーンの予想に反して先生はちっとも怒っていない様子で。
更には逆に試すようにキスされて、何だかどきどきすると告げられて。
もしかしてという期待から、それは恋ですよと伝えた。
先生はそっか、と妙に納得したような返事をしたまま眠りについた。
お互いの気持ちの答え合わせも出来ないまま、そこでその日は終わってしまったのだ。

何もかもが中途半端に終わってしまったこの事件以降、二人の関係に大きな変化があったかと言われると難しい。
ただ確実に違う点が二つほど。
一つはグリーンが締め切り前に時々このアパートに寝泊りするようになった、ということ。
もう一つはレッド先生がたまに、本当にふとした瞬間に。
グリーンにその、接吻を。

つまりキスを、してくれるようになったということ。

もちろんそれは触れるだけの軽いものだ。
どういう意図があるのかも分からない、思いも寄らないタイミングで施される甘い蜜。
だが甘いだけではない。
危険なものだ。
大事なことを何一つとして伝えられていないグリーンにとって、己を堕落の道へと引きずり落とす悪魔の実でもあるのだ。
大事なこと。
つまり、恋心。

だってグリーンは未だに、この身の内から溢れんばかりの先生への熱い想いを伝えられないでいるのだから。

何度も伝えようとはした。
当然のことながら体は正直だし、内側から込み上げてくる想いも本物なのだから。
勢いに乗って告げられそうなタイミングだっていくらでもあった。
だ、けれども。
そんな一筋縄で行くような相手ではないのだ。
だから今日も堕落した怠惰な関係を継続させてしまう。



「はい、布団をどうぞ。ちゃんと寝て下さい」
「まだ眠く、ない…」
「そんなこと言いながらもうふらふらじゃないですか。生活のリズムを作るのも大事ですよ」

今にも倒れてしまいそうな先生を内心はらはらと見守りながら、ゆっくりと床に着くのを見守る。
突然スイッチが切れて机に突っ伏す、という現象が少なくなったのは己の地道な努力の結果だ。
それに人知れず労わりの涙を浮かべて遠いようでかなり近い日の自分たちに想いを馳せている、と。

「…グリーンくん」
「はい?、…っ」

ふと感じた下からの視線と呼びかけ。
応じるようにそちらへ目を向けると。

既に夢の世界へと旅立ちかけているレッド先生が、それでもしっかりとこちらを見つめていた。

その視線がどこか色っぽくて艶やか意味を孕んでいるような、なんて。
浅ましい己の願望が入り混じった風に見えてしまって、思わずうぐと呼吸を詰まらせる。
分かっててそんな表情をしているのか、あるいは全く分かっていないのか。
例えばこれが昼間のキッチンであるのならば、そのまま見なかったことにするのも可能だったはずだ。
だけど場所がいけない。時間がいけない。
先生のその体勢と瞳が、いけない。

「今日は、泊まっていくの?」
「え、は」

ぎくりと体が一気に緊張する。
確かにこの頃のグリーンは、締め切り前にはこうして彼女の部屋に寝泊りするようになっていたのだけれど。
だからってこのタイミングで貴女からそんな思わせぶりなことを言ってはいけない。

「…泊まっていけばいいのに」
「、まあ、その。締め切り前なんで今日はそのつもりだったん、ですけど」

誘うようにこちらの頬へ手を伸ばしてはいけない。
触れられた先から柔らかい先生の指の感触と熱がじわりと広がる。
これはいけない。
危ない。
飲まれる。
本能が警鐘を鳴らしているのに、それに応えることができない。


「…、よかった」


そうしてまるで魔法の呪文のような、甘い言葉を掛けるものだから。
ふにゃりと、滅多に見られない甘えるような笑顔を浮かべてくれたものだから。
色々と耐え切れなくなったグリーンはまるで魔法を掛けられたかのように。
引き寄せられるように。

耐え切れずに先生に覆い被さって、その唇を塞いだ。

ふわりと重ねただけの、軽い口付け。
微かに聞こえた甘い声と震える体。
ああそれだけでもう、駄目なのだ。
どう説明すればいいか分からないくらいには、駄目だ。
離れようとした唇はまだ足りないと言わんばかりに先生の小さくて柔らかい唇に吸い付こうとする。
気が付けば頭だけではなく、上半身ごと先生の上へ覆い被さるような形になっていた。
その小さな頭を挟むように両肘を敷布団について、まるで先生を誰にも見せまいと隠すように覆い被さっている自分。
ちゅ、ちゅと触れては離れる唇。
その度に女性の甘い吐息や、とろりとどこか浮かされた瞳が視界を掠めて。
されるがままの態度に何かを許された気分になってしまって。


「、ぐりーん、くん」


そしてそんな甘えるような声で名前を呼ばれては。
毎日これでもかと抑圧している欲望も、もう黙っていられなかった。

「、ん」

吐息を奪うように。
性急に豪快に、強く唇を押し当てる。
欲求の赴くままにその柔らかくておいしそうな唇を舌で舐めるとくすぐったそうに身を捩る先生。
薄く開いた隙間にそのまま己の舌を差し入れて、侵食する。
それだけでじくりと腰の辺りが酷く疼いた。
初めてキスをして以降、何度目かになる深い口付け。
欲望に従うままにゆっくりと歯列をなぞり、相手の舌を絡め取り、唾液ごと吸い上げて。
己の唾液のせいで湿ってしまった唇同士がぬるぬると擦れ合ってやけに触れ合っていることを教えてくれる。
熱い吐息が混ざり合う。
心臓ががんがんという聞いたこともない音を立てている。
それ以上に、言葉で言い表せないほどの、興奮。

好きだ。
好きだ。

そうして胸に渦巻く想いが溢れ出す。
元々抑え切れるはずもない感情が。
お互いの関係や場所といったもののしがらみも何もかもを超えてあふれ出してしまう。
もっともっと欲してしまう。
止まれない。
いや止まらなくていいのかもしれない。
だけど止まらなくてはいけない。
何故ならグリーンはまだ一番肝心な部分を、伝えていないのだから。

一頻り蹂躙した後に勢いよく唇を離せば、ぷは、と何とも恥ずかしい息が漏れてしまった。
がっつきすぎて余裕のない自分にほとほと涙が止まらないが、今大事なのはそこじゃない。


「先生、俺…っ!」


長い長い口付けの後に。
その先を更に求めてしまいそうになる己を制しながら、もうこの瞬間しかないと。
いよいよ告白をしようという時だ。
そう、大抵いつもこのパターンだ。
分かっていてそれを繰り返してしまうのは己の悲しい性なのか。
それがいけないのかもしれない。
まあ、とにかく。
真っ直ぐに見据えた視線の先には。
ぬらりと扇情的に濡れた唇もそのままに。



すう、と寝息を立てて夢の世界に旅立ってしまっている先生がそこにいた。


「……」

全身の力が抜ける。
ああ、またか。
また今日もこのパターンか。
幸せへの扉が遠のいて、更にはすうっと消えていくイメージが脳裏を過ぎる。
泣き笑いの表情を浮かべ始めたグリーンに、一体何の罪があるというのだろうか。


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